マッタンの幸せ

 ドタバタと生活していて、更新もできずにいた。この間、先週の金曜日には庭の梅が開花した。水仙の開花にも気付いたが、庭の隅っこの、居間からは見えない水仙で、10輪以上開花していたから、最初の1輪は木曜日以前に開いていたようだ。最初は「ケキョ」としか鳴けなかったウグイスも、すっかり鳴き方をマスターして、盛んに「ホーホケキョ」と鳴いている。しかし、以前に比べると数が減ったようで、声も少し遠い。今日は牧山に走りに行った。あまりにも温かいので、ついに半袖Tシャツでだ。温かくていいなぁ、などとは全然思わない。不気味である。地球はどうなっていくんだろう・・・。
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 土曜日は、朝から東日本大震災で死んだ友人宅にお線香を上げに行った後、仙台フィルの第362回定期演奏会に行った。常任指揮者・飯守泰次郎氏の退任演奏会で、ワーグナートリスタンとイゾルデ」の前奏曲と「愛の死」、ブルックナー交響曲第7番だった。チケットは、さすがに「完売」とのことだったが、実際に客席を見てみれば、9割弱くらいの入りだった。
 昨年5月の定期演奏会で、飯守氏(82歳)の衰えがあまりにひどいので、任期末までもつのだろうか、というようなことを書いた。よたよたと、楽団職員に付き添われながらの登場で、お辞儀もままならない。それでも、なんとかこの日を迎えられた。短い曲ということもあっただろうが、ワーグナーは立ったまま指揮をした。
 残念ながら、演奏にはまったく感心しなかった。あの官能的な「トリスタンとイゾルデ」を演奏するには、美しくきめの細かい音・アンサンブルが要求される。今やプロとして十分な水準にある仙台フィルも、この曲を演奏して人を唸らせる水準にはまだ達していないようだ。ブルックナーは、楽員が全力で演奏していることがよく分かる熱演だったのだが、各パートがバラバラな感じで、私は感動できなかった。4月からは待望の高関健時代が始まる。
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 演奏会が終わると、仙台一高59回生3年6組の教え子が、私の定年祝賀会を開いてくれるというので、その会場へ駆けつけた。卒業から16年を経て、13人の諸君が集まってくれた。半分以上は首都圏住まいだ。卒業以来初めて会うという生徒(笑)が大半である。多少太ったかな、という生徒はいたが、みな驚くほど変わっていない。本当に、時が止まった世界のようだった。
 34歳になっていながら、結婚している生徒が半分で、子供がいるという生徒は更にその半分、というのは日本の少子化を象徴しているようで驚いたが、フリーターなどという生徒はおらず、それぞれに立派な仕事に就き、それなりの地位を得て、社会に貢献しているようであったのは嬉しかった。
 記念品として掛け軸をもらった。上半分にH君作の漢詩が書かれている。墨書したのはU君らしい。そして、下半分には他の参加者が、賛を寄せるような形で一筆を入れてくれている。いささか稚拙で(←もちろん国語教師の責任です)妙な、そして内容的には少し気恥ずかしいような漢詩なのだが、せっかくなので紹介しておく。
 
平居高志在(平居高志在り):平居高志という者がいた。
以哲教弟子(哲を以て弟子に教ふ):哲学によって弟子に教えていた。
縦彼下教壇(たとひ彼教壇を下りるとも):たとえ彼が教壇を下りたとしても、
其教消失乎(其の教へ消え失せんや):その教えが消えてしまうことは決してない。
 
 この詩を参加者に解説しながら紹介する時にH君は、初句(1行目)冒頭「平居」の前に、「教育現場の末端に」と付け加えた(ように記憶する)。当時、何かの折に、私が自分のことを「一高教師の末端」だったか、「権力の末端」だったかと言ったところ、生徒が面白がって私のことを「マッタン」と呼ぶようになった。そんな過去を参加者全員が知っているので、H君の言葉で大いに湧いた。
 延々6時間近く、2軒をはしごして、しこたま酒を飲んだ。すっかりご馳走になった。教師冥利に尽きる、と言うべきだろう。ありがたいことである。