WBCの余韻の中で・・・スポーツの立場

 野球のWBCが終わった。準決勝、決勝については、私も時々テレビを見ていた。仕事の都合もあって「ずっと」というわけにはいかなかったが、不思議と、いい場面(準決勝の吉田のホームランとか、サヨナラ勝ちの瞬間、決勝戦の大谷の投球など)を見ることができた。多くの人が言っているとおり、まるで筋書きが始めから決まっているかのような、漫画のような大会だった。最後に日本が勝ったこともあって、とても胸の高鳴るいい大会だったと思う。
 大谷がMVPを獲得したことは、投打両面での活躍のみならず、みんなで楽しく野球をするという雰囲気や、勝つことへの並々ならぬ執念をチームにもたらしたということからすれば、妥当な選択であった。しかし、実際の勝利に貢献したということからすれば、最多打点の吉田も捨てがたい。鈴木誠也の補欠として代表入りし、5割の出塁率を示した近藤も、朝日新聞以外ではほとんど名前も目にしなかったが、貢献度は非常に高かった。
 ところで、全然話は変わるのだが、各クラスに1時間しか授業に行かない中途半端な3月授業、1年生のあるクラスで、NHKのプロフェッショナルという番組を見せた。選んだのはカツオ一本釣り漁船の漁労長・明神学武(みょうじんまなぶ)を取り上げた回だ。確か8年あまり前に放映されたもので、前任校でも授業で使ったことがある。私も気に入っているものなので繰り返し使うのだが、生徒の反応も上々だ。
 プロフェッショナルは、様々な分野のプロフェッショナルが取り上げられるが、スポーツを中心とする勝負の世界に生きている人の登場が多い。私は、いつか授業で使えるのではないかと思って、照ノ富士国枝慎吾羽生善治など、そんな人たちの回も録画してある。しかし、実は、授業でそれらを使ったことは一度もない。家で見直すこともない。
 理由ははっきりしている。勝負の世界は、興奮を作り出す装置でしかないからだ。それらとは別に、世の中には現実というものがある。だから、それを見ている時には大変面白いと感じるし、それによって鼓舞されるということも起こるのだが、少し冷静になってそれを見てみれば、妙に人工的なドラマ=お芝居の一種であると感じられるようになる。そうなると、授業でわざわざ生徒に見せようかという気にはならない。
 確かに野球は素晴らしい。しかし、ごくひとつまみの人を別にすれば、人生を野球に賭けるわけにはいかない。観客としてはなおさらである。社会を成り立たせるための様々な仕事に真面目に取り組み、そのためにスポーツによって健康の増進を図り、そしてまた、時々、プロを含めたスポーツから喜びや励ましを得ることもある、というのが、スポーツとの正しい付き合い方であろう。
 残念ながら、とりあえず食うことに困らない豊かな世の中で、そんなオマケ部分の価値が肥大し、いわばバーチャル・リアリティーの中で人々が生きるようになることを私は危惧する。第1次産業が衰退する一方で、第3次産業に従事する人の割合がどんどん増えるという社会構造と、スポーツや芸術の肥大は表裏一体である。
 WBCの優勝で日本全体が盛り上がっている時に、例によって平居は天邪鬼だ、興醒めで不愉快だ、と言われるかも知れない。腹を立てずに、かわいそうな奴だ、と思ってもらえれば結構。そういう人なんです。