花盛りの京都

 コロナとはいったいいつの話か、と思うくらい、京都は外国人観光客でメチャクチャに混雑していた。特に、娘が行った「代表的観光地」はひどかったらしい。金閣寺など、池の周りにびっしり人垣ができていて、ほとんど1人が入り込む隙間もないほどだった、と驚いていた。
 一方、私が訪ねた所は、全てガラガラ。一つの寺院で、4~5人にしか会わない、ということさえ珍しくなかった。結局、わずか数日の日程で京都を訪ねた外国人は、私が娘に「見ておきなさい」と言ったような所ばかり回ることになり、それ以外には足を伸ばす余裕がない、ということなのだ。
 さて、書き出すとキリがないので、主だったことだけを書き連ねる。
 高雄は、私の記憶の中の高雄と違っていた。私は、少し開けた河原を散策した記憶があったのだが、そんな場所はどこにもなかった。いったい私はどこを高雄と思っていたのだろう?
 高雄の三つのお寺の中では神護寺が圧倒的に立派だったが、それでも、わざわざ1時間以上もバスに乗って見に行くほどのお寺とは思えない。私は基本的に、どこでもフルコース、一番奥まで行ってみることにしている。神護寺の一番奥とは文覚聖人と性仁法親王のお墓である。拝観料を払う時にもらったしおりの地図を見ると、さほど距離があるようには見えなかったので、軽い気持ちで歩き始めたのだが、これがなかなか遠い。結局、私の足で往復30分かかった。だいたい私が歩く速さは普通の人の倍なので、普通の人なら1時間近くかかるだろう。文覚聖人のお墓は、親王のお墓と並んで立ち、京都市内を遠望できる。どこへ行っても眺望の利かない高雄としては見晴らしのいい場所だが、あくまでも「高雄としては」である。
 西明寺は、入り口の橋のあたりを始めとして、そこそこ風情のあるお寺だが、とても小さい。さらっと見ておしまい。
 高山寺は、石水院という所だけが有料で、拝観料が800円もするので、どんなにすごい所かと思って入ったら、なかなかのがっかり名所であった。高山寺と言えば、鳥獣戯画を所有しているお寺として有名だが、縮小されたコピーだけが展示されていた。床の間に掛けられた明恵聖人座像の掛け軸もレプリカ。
 2日目、まずは鞍馬。叡山電車に乗るのも楽しみのうちだった。1年半ほど前、家族で高野山に行った時の話で、「パーミル会」というものに触れた(→その時の記事)。傾斜が急な箇所を持つ鉄道会社の会である。だいたい50‰(パーミル=1000m進むうちに50m上る)が目安になっているようだ。叡山電車パーミル会の会員である。二軒茶屋から鞍馬までの2駅区間に50‰の勾配を含むらしい。なるほど、電車に乗っていても急坂であると感じられる。山間の風情もいい。
 花粉はひどいが、楽しい山歩きだった。ただ、夕刻、薄暗くなって以降に来たら凄みを感じるような場所だろうと想像した。貴船神社は、なぜか、私が今回訪ねた場所の中で最も混んでいた。
 その後は、妙満寺から詩仙堂のあたりまで、ずいぶん歩いた。京都のお寺は、どこも実に美しい焦げ茶色だ。どうすれば、木があんなに上品、柔らかな濃い茶色になるのだろう?東北ではほとんど見ない。
 岩倉の実相院は、屋根の老朽化がもう限界、といった感じだった。私のような素人の目にも、屋根が波打ち、一部の瓦がずれているのが分かる。あんまりひどいのと、拝観者もほとんどいなくて、受付も暇そうなのとで、屋根修理の予定があるのかどうか尋ねてみた。愛想よく、結構長い時間話を聞かせてくれた。必要性は分かっていて、すぐにでも修理に取りかかりたいが、資金が調達できないので、○億円をぽんと出してくれるような篤志家でも現れない限り、お寺をつぶすしかないのかなぁ、などと言う。クラウドファンディングでいくら集まり、実際の修理にかかる費用がいくらで・・・というような具体的なことまで教えてくれたが、残念ながら、私はどうしても「篤志家」になれない。
 庭も建物も、京都の中では、決して優れたものではないのだが、それでも門跡寺院である。しかも、数少ない現存する女院御所だという。それでも、国宝や重要文化財に指定されていないと、これほど建物が傷んでも直せない。京都の坊主は羽振りがよい、というような話も時折聞くが、おそらく富は偏在しているのだろう。実相院の屋根は、主流から取り残された寺院の厳しい現実をよく表している。
 赤山禅院というのは、本当に不思議な所である。「禅院」と言うからには、禅寺であるはずで、比叡山延暦寺塔頭のひとつと言うから、天台宗のお寺である。ところが、参道の入り口に、立派な石の鳥居が立っていてまず驚く。それをくぐってダラダラ坂を上っていくと山門があるが、その横に立っている石柱には「赤山明神」と文字が刻まれている。手持ちのガイドブックによれば、ご本尊は泰山府君、つまり中国の民間宗教である道教の神様だ。また、都七福神の一つ、福禄寿の「寺」である、とも書かれている。境内には、いろいろとカラフルなのぼりが立っているのだが、どれを見ても「寺」を感じさせるものは一切なく、かと言って、神社とも言い切れない。たいした場所じゃないな、と思って、すーっと一回りして出てきてしまったが、誰か寺(神社?)の人に詳しく尋ねてみればよかった・・・と、後から後悔した。
 昔、やはり大学生の頃、詩仙堂には行ったことがあって、その記憶はおぼろげながらもあるので、詩仙堂には入らず、その周辺の寺社を見て歩いた。臨時休業とかで、金福寺には入れなかったが、それ以外では圓光寺がよかった。前庭に当たる淡桜庭の桜が満開ということもあったが、斬新なデザインの枯山水(奔龍庭)と落ち着いた山水(十牛之庭)の両方があり、それぞれよく手入れされていて美しい。裏山には徳川家康の墓(歯が納められているらしい。圓光寺の前身が徳川家康が作った学問所だったという縁)もある。日本最古の木活字が残っていることでも有名で、その実物は宝物館で見ることができる。のんびり1時間くらいいてもいいお寺だ。
 どのお寺も閉門時間になってきたし、娘との待ち合わせの都合もあったので、一乗下り松町からバスで京都駅に戻ろうとした所、平安神宮前から京阪三条にかけてが大渋滞。乗った時にはガラガラだったバスもすっかり満員(ぎゅうぎゅう詰め)となって、私は夢から覚めたように、国際的観光地・京都のすごさを思い知ったのだった。