花盛りの奈良(2)

 今回の旅行の実質的な最終日は、半日で奈良県北部~京都府南部の名刹を駆け足で回るというものであった。
 まずは奈良県北西部、長弓寺と秋篠寺だ。
 長弓寺(ちょうきゅうじ)は本堂が国宝。宮大工・小川三夫氏が「鎌倉の名刀を思わせる」と絶賛する。確かに素晴らしいが、森の中のさほど広くない場所に建っていて、本堂を少し離れた場所から眺めるということができない。建物としての美しさを味わうには、少し距離(=広い視界)が必要だ。『宮大工と歩く奈良の古寺』には、寺務所に言えば、本堂内部を案内してもらえると書いてあるが、私は断られた。
 次に秋篠寺(あきしのでら)に行く。ここは本当に素晴らしい。ミニ唐招提寺だ。金堂跡にはきめ細かい苔が美しく生え、本堂の形も唐招提寺とそっくりである。堂宇の数が少なく、規模が小さいというだけで、質においては決して劣っているようには見えなかった。土間になっている本堂内部の雰囲気、そこに鎮座する本尊・薬師如来などの仏たち(主に鎌倉時代の作)も格調高く見事である。私は、法隆寺唐招提寺長谷寺とともに奈良のお寺ベスト4に認めたい。
 秋篠寺を訪ねたことで、『宮大工と歩く~』で取り上げられた12のお寺は、全て訪ねたことになる。車を走らせ、次は京都府の南部だ。
 浄瑠璃寺は、ご多分に漏れず、堀辰雄の「浄瑠璃寺の春」という随筆で印象づけられたお寺だ。他にも、幾つかの小説で目にしたことがあるような気がするが、それが何かはどうしても思い出せない。
 これもなかなかのお寺だ。庭園の繊細さは、京都のお寺には及ばないが、穏やかな山里にあるため、雰囲気が非常に落ち着いていて素朴だ。池を挟んで、本堂と三重塔が向かい合っている。本堂には本来九体あるべき阿弥陀仏が揃いで納められている。平安時代に作られた阿弥陀仏が九体そろって残っているのは、この浄瑠璃寺だけだ。浄瑠璃寺が「九体寺(くたいじ)」とも呼ばれる所以である。二体が修理中ということで不在だったが、見ることができた七体は、そして他の仏も大変優れたものであった。
 「浄瑠璃寺の春」で、堀は浄瑠璃寺に咲く馬酔木(あしび)の花を愛でている。しかし、私にはむしろムラサキヤシオツツジの方が、くっきりとした色で印象的だった。
 ここから岩船(がんせん)寺は近い。岩船寺は、浄瑠璃寺に比べると狭い谷間に作られていて、少し窮屈、もしくはこぢんまりとして見える。本堂と三重塔は90度の関係にある。
 まだ時間があったので、更に海住山(かいじゅうせん)寺を訪ねる。加茂駅から150m上るだけなのだが、坂道は非常にきつい。驚くほどだ。もっとも、更に驚いたのは、そこを自転車で上る猛者を見た時だ。自転車愛好者が、どんな坂道でも乗ったまま上ることをプライドにしているのは知っているが、あの坂を登れるというのは驚異である。
 海住山寺には国宝の五重塔がある。鎌倉時代の建築で、初層に裳階が付いているだけではなく、その裳階に軒柱が付いているという独特の形状だ。また、外からは見えないが、この五重塔の心柱は、相輪の下から初層の天井までしかなく、地面には達していないという。
 境内は解放感がある。また、本堂の右後ろに100mほど歩くと見晴らしがあって、加茂市街方面がよく見える。黄砂なのか、すこしぼやっとしていたが、気持ちのいい所だった。
 車だと15分で木津駅に戻れる。今回の京都奈良寺社巡りはこれでおしまい。名古屋からのフェリーに乗るべく、私は約45年ぶりで関西本線に乗り、名古屋へと移動した。美しい川沿いを走る列車だとの記憶が微かにあったが、それは間違いではなかった。ほとんど記憶と違わない景色だった。加茂~亀山は、レールバスと言いたいような小さなディーゼルカーの単行運転。人はそこそこ乗っていた。(終わり)