小松亮太のバンドネオンまたはタンゴという音楽



 昨日は、念願かなって小松亮太バンドネオンを聴きに行った。と書けば、意外の感を持つ人も多いと思う。ただ、私をよく知る人は分かる通り、私はジャンルに関係なく「一流」が大好きである。そんな私にとって、機会があれば実演に接してみたいと思っていた「一流」の音楽家の一人に「小松亮太」がいる。なんとまだ38歳に過ぎない。

 私は10年あまり前、珍しく(?)流行に乗った形でせっせとA・ピアソラを聴いていた時に、『Lo que vendra(来るべきもの)』というCD(SRCR2465)で小松を知り、以来、隠れファンとなっている。しかし、一流が好きだから小松が好きであって、タンゴとかバンドネオンはどうでもよいかと言えば、決してそんなこともない。基本的に、私はラテン音楽が好きで、中でもアルゼンチンタンゴと中米のマリンバ音楽はいいと思う。

 私がタンゴとバンドネオンを好むのは、1)人生の喜怒哀楽を全て吸い込んだような大人の味わい、と、2)メロディーとリズムの完璧な融合、とがあるからである。若干後者について補足する。例えば、私が最も苦手とするロックと対比すると分かりやすい。ロックという音楽は、エレキギターという野蛮な(デリカシーに欠ける)楽器ががなり立てる後で、ドラムが外付けでポコポコと単純単調にリズムを刻んでいる。私には、そのデリカシーのなさ平板さが耐え難い(ロックファンの方、ごめんなさい)。バンドネオンという楽器、タンゴという音楽は、メロディーを奏でながら、一方で同時に非常に明確・強靱なリズムを刻んでいる。メロディーとリズムは渾然一体、メロディーがリズムを内包して、全体を形作っているということを終始これほど感じさせてくれる音楽というのはなかなかない。上で触れた私が愛好するもう一つのラテン音楽、すなわち中米のマリンバ音楽も同様の特長を持つ。

 ところで、直前数日にも、新聞には何度か広告が載ったので、私は、よほどチケットが売れないのだろうと思っていたが、私の席から見える範囲で、空席は一つしか見つけられなかった。チケットを買っても来ない人というのは必ずいるものなのに、これほど満席に近いコンサートは珍しい。意外だった。一見して、男女は半々だが、私より年配の方が圧倒的に多かった。

 日本でタンゴブームが起こったのは、私がまだ物心つく前(生まれる前?)の1950〜60年頃らしい。つまり、当時のタンゴファンが今だに客の主役だということだ。ピアソラブームは、彼が死んだ1992年の後数年間だったように記憶する。小松自身もまだ30代である。「団子三兄弟」などのタンゴ風音楽のヒットもあり、若い、更には幼い世代も、「タンゴ」を知る機会はあったはずだ。にもかかわらず、新しいタンゴファンはなかなか生まれず、小松も、もっぱらタンゴという古い音楽を演奏する名手として評価される、というのは不思議である。小松もその著書(『小松亮太とタンゴへ行こう』旬報社、2009年)の中で、コンサート終了後に「懐かしい曲が聴けて嬉しかった、ありがとう」と感謝されることを嘆いているが、さもありなん。AKBのような「商品」がもてはやされる一方で、タンゴという「芸術」が先細って行くというのは、たとえ本場から遠く離れた日本でとはいえ、私には寂しいことに思われる。

 さて、肝心の演奏はというと、選曲もほどほどによく、小松の解説も含めて、十分に楽しむことはできたのだが、何しろ会場が広く(東北大学萩ホール)、スピーカーを使っていた都合で、音がやや奥行きと色気を失っていたのは少し残念だった。やはり、せいぜい100席か200席のライブハウスで、小さな編成で(昨日は11人)聴いてみたいと思う。いずれ、東京でそんなチャンスを探ってみよう。まずは、念願がかなってよかった。