音楽は「曲」だ

 今日、息子が高校入学のために家を出た。向かったのはニュージーランドオークランドである。とても私的なことなので、これ以上は書かないが、私の側について言えば、妻と二人っきりの生活になることに、かなりおびえている(笑)。家庭内でDVを受けているというわけではない。ただ、お互いが本を読んだり字を書いたり、要はそれぞれで勝手なことをしているだけなので、おそらくひたすら静かな家の中になる。静けさは人を不安にする。おそらく、それにおびえているのだ。
 娘はマレーシアの大学に行っている。娘が出発する時も、周りの人からは「成田まで送りに行くの?」みたいなことをずいぶん聞かれたが、送りに行ったのは石巻駅までだった。それでも、子どもが駅まで行くのに車で送ったことなど1度もないわけだから、30㎏あまりの荷物を持っていることに配慮して、ずいぶん親切をしたつもりになっていた。
 その私が、今日は仙台まで一緒に行った。この表現で「ん?」と思った方は鋭敏な感性の持ち主である。「一緒に行った」だけであって、「見送りに行った」のでも「ついて行った」のでもない。
 今日は、私がかつて所属していた仙台宗教音楽合唱団という市民合唱団の定期演奏会(第39回)があったのだ。それに行くのに都合のいい列車が、たまたま息子の出発と重なっていたのである。
 それでも、仙台駅には祖父母と伯母が見送りに来てくれたものだから、私も挨拶に顔を出し、ついでに新幹線ホームまで上がり(中学校の先生が来てくれていた=びっくり)、列車を見送った。その後、祖父母・伯母(私から見れば義父母と義姉)と昼食をとってから、例によって歩いて会場(青年文化センター)に向かった。カッターシャツ一枚で、腕まくりまでしているのに暑い。すっかり初夏の陽気だ。
 コロナ明けで初めての定期演奏会である。帰宅後に調べてみると、前回は2018年だから、実に6年ぶりである(→前回の記事)。2020年5月に、J・S・バッハの「マタイ受難曲」を予定していたのだが、それが中止となった。満を持して「マタイ」かと思っていたら、コロナで単に練習が出来なかったというだけではなく、退団者が続出し、大きな編成を必要とする「マタイ」は出来なくなってしまったという。
 今日のプログラムは、J・S・バッハのカンタータ第93番、ミシェル=リシャール・ド・ラランドのグラン・モテ(大きなモテット)「深き淵より我汝を呼ぶ」、そして再びJ・S・バッハでカンタータ第4番。指揮はもちろん佐々木正利氏、独唱はその岩手大学における元門下生たち。
 バッハのカンタータを聴いたのも、本当に久しぶりだ。カンタータ第93番は、実にぱっとしなかった。20分に満たない曲のはずなのに、とにかく長い曲に感じた。ド・ラランドは今日の演奏曲で『名曲解説全集』にも載っているが、私は知らない人であり曲だった。初めてということもあって、好奇心によって1曲目のバッハほどは退屈しなかった。
 休憩を挟んで、カンタータの第4番になると大きく変わった。200曲ほど現存するバッハの教会カンタータの中でも、ベスト10に入る名曲である。バロックらしい管弦楽の速くて小刻みな音の動きの上に、同じコラール旋律が、変化しながら繰り返される。第93番やド・ラランドで非常に音が不安定だった独唱者も、かなり安定した。
 やはり第4番は名曲なのだ。名曲は、演奏者にとっても魅力的であり、だからこそのめり込めるものなのだ。つまり、名曲であることを軸に、聴衆も演奏者も高揚し、緊張感を増し、いい気分になるのである。音楽の命は演奏ではなく、まず曲なのだ。そんなことを強く感じた。
 アンコールは、カンタータ第147番のコラール(第10曲)。あのうねうねと続く音型が、なぜこれほど美しいと感じられるのだろう。それに導かれて始まるコラールの穏やかな美しさも心地よい。これだけよく知られていながら、俗臭が漂ってくることもない。これこそ名曲。やはり、音楽は曲があってこその演奏だ。