2011-09-01から1ヶ月間の記事一覧

大須中学校または冠水の話

私の公式名刺には、所属部署として「企画情報部」と書いてある。「一体これは何ですか?」とよく聞かれる。これは、もともと「企画部」と「情報部」に分かれており、前者は中学生への入学勧誘を中心とする情報宣伝活動、後者は校内の情報処理を担当する部署…

名古屋めし

名古屋に行くと、決まって誰かと飲みに行ったり食べに行ったりすることになる。今回もそうだったのだが、すると必ず、「何が食べたいか?」と同時に、「仙台や石巻で美味いものとは何か?」という質問を受ける。う〜ん、これは難問。たいした物が思い浮かば…

名古屋の休日・・・JR飯田線に乗る

(9月27日付「第2次月曜プリント」より加筆修正して転載) 台風一過の23、24日は、また名古屋に行っていた。某高校の文化祭にお呼びがかかったためである。文化祭は23日だけだったが、せっかくの3連休にとんぼ返りはもったいないので、家族に許可…

イランの運転手・・・複線的社会を考えるために

複線的な社会ということを考える時、私の心に浮かんでくる一つの情景がある。それは、かつてイランを旅行していた時に繰り返し見たものである。私がイランを旅行したのは、1983年11月13日から12月12日までのことで、ずいぶん昔の話なのだが、考…

複線的な社会を!・・・林竹二『教育亡国』をめぐって(4)

昨日まで見てきたことで、私が林と一致するのは、戦後教育(教育行政)をどう評価するかという点だけであった。実は、もう一つある。それは、1971年に東京の麹町中学校であった内申書事件における学校側の対応についての林のコメントと、林自身が宮城教…

人間の質と平等・・・林竹二『教育亡国』をめぐって(3)

憲法第26条に、「第1項:すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。第2項:すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育はこれを無償と…

林の教育実践について・・・林竹二『教育亡国』をめぐって(2)

林は、自分の思い描く教育のあるべき姿を訴えるために、自分の授業実践を何度か持ち出す。そして、予習を前提とせず、その場で子供に問題を突きつけて、裸でその問題に取り組むことを要求すると、全ての子供が本当に喜んで学習し、いわゆる「学力」の差は消…

戦後教育の転換点・・・林竹二『教育亡国』をめぐって(1)

ちょうど1週間前のこと、「これ読んでみて」と言って、元小学校教諭である義母から1冊の本を手渡された。見れば、いささか古ぼけた林竹二の『教育亡国』(筑摩書房、1983年)という本であった。義母が何を思ったかは知らない。ごく軽い気持ちで、なん…

被災地であるよりも過疎地

昨日は、久しぶりで愛知ボラセンの活動に顔を出した。ボラセンは7月末以来、活動の拠点を渡波小学校から旧牡鹿町の十八鳴浜(くぐなりはま)に移してしまった。我が家から渡波小学校は車で15分だが、十八鳴浜は1時間だ。人の出入りが激しく、中途半端に…

震災が些事とは言っていられない・・・県への要請行動報告

昨日は学校を早退すると、まず門脇小学校に授業参観に行き、終わった瞬間に学校を飛びだして県庁に行った。高教組(宮城県高等学校障害児学校教職員組合)がお膳立てをした、「東日本大震災に対する教育活動についての要請」というのに出席するためである。 …

落ちたらどうしよう?・・・「岩場の教訓」

(9月15日付「第2次月曜プリント」より、加筆訂正して転載) 先週の土曜日は、前にいた学校の部活(山岳部)のコーチとして、二口沢という所に「沢登り」の引率に行っていた。仙台市内の最高気温が32,2℃という、この時期としては珍しい絶好の沢登り…

女川のサンマ

昨日の『石巻かほく』に、女川でサンマの初水揚げがあったという記事を見つけて、驚くと共になんとも明るい気分になった。そうしたところ、夜、遠い親戚のUさんから、大量のサンマが届いた。なんと女川の初物である。大きさ不揃いなところが、いかにも港か…

これは何のための記事だろう?

震災後半年を目前に控えた9月8日、『河北新報』は、石巻市立大川小学校のことを大々的に取り上げていた。大川小学校とは、今更説明するまでもないだろうが、全校生徒108人中74人が津波で死んだという、今回の震災を代表する悲劇の舞台である。第1面…

自己責任で住む・・・震災後半年の思い(2)

昨日に続き、震災後半年を経て、心の中でわだかまっている「なんだか変だぞ」ということについて書いておこう。 9月11日付『石巻かほく』によると、石巻市ではまだ1500人が避難所で暮らしている。9月1日現在で、仮設住宅は完成率83.8%、入居率…

震災は些事である・・・震災後半年の思い(1)

今日は、震災半年記念日(?)であった。朝から、テレビのニュースは震災一色と言ってよいほどだし、日和山に行けば、一体何のお祭りかと思うような騒ぎである。震災1周年ならまだしも、1ヶ月毎に「記念日」があり、半年目にしてこの騒ぎ。一体「1周年」…

手作り冊子の魅力・・・アナログ礼賛(2)

前任校の応援団幹部OBであるT君から、手作りの冊子が二冊届いた。松本の旧制高等学校記念館謹製・全国旧制高校の校章入りという格調高い便箋3枚に、ぎっしりと手書き文字の書かれた手紙が同封されていた。便箋にも文字にもT君の熱い思いを感じる。あり…

今年の錨章祭はE1のためにある・・・E1劇場を全国区に!!

(9月8日付第2次月曜プリントより加筆訂正して転載) 9月を昔は「長月」と言った。なぜこのように言うかははっきりしないが、夜が日に日に長くなる季節なので「夜長月」、秋の長雨の季節なので「長雨月」、これらがつまって「長月」となったという説が有…

ロートルの子育て

昨日は、夕方から前任校・某クラスの同級会なるものが行われることになっていたので、少し家を早く出て、大学時代の同級生T君の家を訪ねた。以前から、一度家族交流をしようなどと言っていたのである。 T君は、浪人して大学に入っているので、私よりも1歳…

欲しい「人材」はどこでも欲しい

今年度は担任をしているということもあって、結局、週に1度は「学級通信もどき」を出すようになってしまった。ただし、日曜日の夜が落ち着かないのは嫌なので、既に「第2次月曜プリント」と称して、この場に転載はしてきたものの、実際には木曜日に出すこ…