震災は些事である・・・震災後半年の思い(1)



 今日は、震災半年記念日(?)であった。朝から、テレビのニュースは震災一色と言ってよいほどだし、日和山に行けば、一体何のお祭りかと思うような騒ぎである。震災1周年ならまだしも、1ヶ月毎に「記念日」があり、半年目にしてこの騒ぎ。一体「1周年」には何が起こるのだろうと、不安にも似た気持ちが沸き起こってくる。既に黙祷も50回くらいはしたような気がするし、街の書店に行けば、震災関連の多種多様な書籍がこれでもかこれでもかというほど積み上げられている。何だか変だぞ・・・???と、最近よく思う。

 先月、震災関連のちょっとした原稿の依頼を二度ばかり受けた。どちらも、被災地の学校の状況なり再生へ向けての展望なりを書いてくれというものだった。我が家の被害は軽微だったとは言え、勤務先は見通しの立たない仮移転中で、特に水産の授業(実習)には支障が多いし、生徒達の住居にしても通学手段にしても問題に満ちていて、身の回りはやはり「震災」だらけである。そういう点について書くのは、いとも簡単。しかし、果たして、水産高校が旧校地なり、どこか別の場所なりにピカピカに生まれ変わって、交通手段も完全復旧すれば、それで問題解決なのかな?と思ったところで、最近の私のモヤモヤの正体が少し見えてきた。更に、過剰な報道と、「震災」と銘打てば売れるとばかりに出版された、必ずしも質の高くない「震災関連本」という現象、こういったものを横目で見ながら、私が抱えている疑問は、ますます明瞭になってきたのである。

 それは、まず第一に、もっともらしい教訓や反省を述べることの胡散臭さである。

 過去人間の歴史には、数多くの事故・事件があった。大きな出来事が起こった直後には、人はそのことばかりを重大視し、盛んに教訓や対策を語っただろうが、その多くは忘れられてしまった。津波だって、1000年遡らなくとも、明治の三陸津波は十分今回に匹敵するものであった。当時の人には教訓を得る能力も、それを生かす力もなかった(一部にはあったことが伝えられている)が、今の我々にはある、などと思い上がってはいけない。大きな出来事の直後にそれを語ることと、それを風化させないことは次元の違う問題なのだと思う。

 太平洋戦争のことを考えてみよう。これは、近代以降、日本人が経験した最大の事件である。これの教訓とは何だろうか?私が関わる「学校」について考えた場合、「マスコミ」とともに政府(軍)の宣伝部隊になってしまったことである。教師一人一人が何を正しいか批判的に考えず(考えても表に出さず)、上位者の命令・指示を絶対的なものとして、そこに向って生徒を導いたことなのである。

 そのことについての当時の反省の弁は、今でもうんざりするほど探し出すことが出来る。しかし、その後どうなったか。当時の文部省が、進駐軍の撤収とともに自分たちの権力を取り戻すべく画策したのは当然としても、教員側も最初は徐々に、やがてすさまじいスピードでそんなことは考えなくなっていったのではないか?特に、日の丸・君が代問題の決着を境に、国は校長の権限を法令上強固にし、教育基本法の改悪で、教員が「国民全体に対して直接に責任を負う」ことが否定され、間接的に上位者への絶対服従が義務となった。学校はいつでも政府の宣伝塔になる体制が整ったのである。教員はもはや、それに反発さえしないどころか、何かにつけて「校長先生のお考えは?」「校長先生がお決めになることですから」と口にするようになった。教員などという、おそらくは比較的知的水準が高く、本を読むことも調べることも出来る人たちでもこの程度である。

 世代を超えて教訓を受け継ぐことは至難の芸当である。だから、今年の出来事についていっぱしの教訓を述べるよりも、「人間が歴史から学ぶ唯一のことは、人間は歴史から何も学ばないということである」(ヘーゲル)という言葉を胸に、震災を、過去の大きな出来事から人間は何を学んだのか、何を生かせているのかをせっせと見つめ直す機会にした方がよい。

 ここで、第二の問題となるが、それは街や学校が新しくなっても、それ以前からあるより深刻な問題は何も解決しないということである。

 学校について言えば、上と重なり合うが、震災以前から年々管理体制が強化され、無意味な研修や書類の増加、パフォーマンス的な教育政策による構造的な多忙化が問題とされていた。ピカピカの建物が出来ても、これらは何ら解決しない。そして、学校にとって震災の影響と行政による教育管理のダメージとどちらの方がより一層深刻で根深いか、どちらの問題が「教育」にとってより本質的か、生徒にとって悪影響が大きいのはどちらなのかと言えば、私には明らかに後者であると思う。

 戦争などと違って、震災は思想的なずれの生じにくい単純な問題でもある。言葉は悪いが、現在の大騒ぎはいわば「流行」のようなものであり、復旧は事務作業である。私達はそんな「流行」に目を奪われているわけにはいかない。まだまだ、震災の影響で苦しい生活をしておられる人々、将来へ向けての道筋が見えてこずに悩んでおられる方々がたくさんいることはよく分かっているつもりである。しかし、世の中が「震災」だけを殊更に問題化し、震災を口の端に乗せていないと心落ち着かないような雰囲気があるだけに、あえて私は、「震災など些事である」と言っておきたいと思う。