おとなのEテレタイムマシン

 年度が変わって、今月から「おとなのEテレタイムマシン」という番組が始まった。 毎週火曜と土曜の夜で、火曜日は古典芸能、土曜日はクラシック音楽N響)に関する古い映像を放映している。
 6日、20日、27日と、土曜日だけ3回見た。6日はサバリッシュ(指揮)+ポリーニ(ピアノ)で、ブラームスの協奏曲第1番。20日はマカール+中村紘子で、チャイコフスキーの協奏曲第1番。27日はワルベルク+堤剛で、ドヴォルザークのチェロ協奏曲だった。どれも1980年前後の映像。(13日のノイマン指揮「我が祖国」は単にうっかりしていて見逃した。)
 昨年だったか、クラシック音楽館の「N響伝説の名演奏」に登場したぶよぶよ太った晩年のサバリッシュと違い、最盛期のサバリッシュはいかにも颯爽としている。ワルベルクはN響でしか見たことがなく、録音(レコードやCD)の存在も知らない指揮者だが、私が若い頃はサバリッシュの次くらいに目にする機会が多かった人だ。こんなに大きな動作でぶんぶん棒を振り回す人だったかな?と思ったが、そんなことを改めて確認したことも含めて面白かった。
 が、何と言っても印象強烈だったのは中村紘子チャイコフスキーである。1981年9月24日、N響第848回定期演奏会の録画だ。私はこの半年後、尾髙忠明指揮する日本フィルの演奏会で、中村によるチャイコフスキーを聴いている。その時の記憶はほとんどないが、今回映像を見ることで、こんな感じだったんだろうな、と思った。
 中村紘子という人は、強靱なタッチの持ち主である。まるで鉄のカーテンの向こう側にいたベルマンやギレリスに匹敵する、ロシアの大地の響きだ。今回見たチャイコフスキーも全くその通り。近年、性別に触れることはタブーであるかのような風潮があるが、中村に関して言えば、女性がこれほどすさまじい音楽作りをするのか、という印象をどうしても持ってしまう。チャイコフスキーの後に放映された、1988年のリサイタル映像でもまったく同じだ。ショパンのワルツ3曲を、すさまじい速さ、明確で力強いタッチによって何の感傷も、ポーランドの土の香りもなく引き切ってしまう。まるでサーカスを見ているようだが、決して音楽としてつまらないとは思わない。それが中村紘子という人の偉いところなのだろう。録画しておいて2回見てしまった。
 ところで、昔は頻繁に目にしたチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を、最近はコンサートのプログラムでほとんど目にしない。チャイコフスキーが演奏されなくなった、ということではないと思う。ピアノ協奏曲を見ないのだ。
 私は、このピアノ協奏曲をチャイコフスキーの曲の中でも特に優れたものだと思っている。私が好きなチャイコフスキーの曲と言えば、交響曲の5番、6番、花のワルツ(バレエ「くるみ割り人形」中の1曲)、そしてピアノ協奏曲だ。これが名曲であるということについても、今回の番組映像で思いを新たにした。メロディーも魅力的だし、ロシアの香りはするし、いかにも難曲といった感じで、演奏自体がとてもスリリングだ。
 ラフマニノフの2番だけではなく(→関連記事)、チャイコフスキーを取り上げてくれないかな?そんな思いが強くなってきた。