老人をよみがえらせる若者の力

 日曜日に録画してあった、ヘルベルト・ブロムシュテッド指揮、N響第1966回定期演奏会の映像を、昨晩、ようやく見ることができた。その前の週にもブロムシュテッドを見て、そのあまりにも老いた姿にショックを受けたことは既に書いた。それでも、おそらく今年が最後であろうブロムシュテッドの演奏は見ておきたい、と思ったのである。
 曲はシューベルト交響曲第1番と第6番。実際に演奏している時間はわずか1時間ほどの短い演奏会である。もちろん、ブロムシュテッドの体調への配慮であろう。ブロムシュテッドが袖に下がるのも大変だからか、休憩を取らず、2曲が続けて演奏された。
 ところが、驚いたことに、先週のブロムシュテッドと全然違う。見違えるように元気で、目の落ちくぼみ方も随分ましだ。冒頭のインタビューは、曲の特徴について、あちらこちらの部分を歌って聴かせながら、実に楽しそうだ。指揮をしていても、座ってこそいるものの、表情豊かで動作が大きく、細々と指示を出す。座っていることを別にすれば、ほとんど昨年までと変わらないと言ってよいほどだ。わずか1週間でこの違いは何なんだろう?と驚いた。
 シューベルト交響曲など、私はあまり好きではない。昔、第5番だけは好きでよく聴いたが、その5番さえも、最近は聴くことがない。どうも冗長な感じがする。しかし、今回の映像を見ながら、私はまったく退屈しなかった。特に6番はなかなかの佳曲だと思った。
 演奏を見ながら思ったのは、シューベルトがブロムシュテッドを回復、もしくは、若返らせたのではないか?ということだ。第1番はシューベルト16歳、第6番でも21歳の時の作品だ。聴いていても、若書きであることがよく分かる。「未熟」なのではなく、とてもしなやかで明るい。16歳、21歳と言えば、現在のブロムシュテッドとの年齢差は79歳、74歳だ。31歳で死んだシューベルトにしてみれば、想像もつかない世界をブロムシュテッドは生きている。そのブロムシュテッドが、シューベルトの作品を実に愛おしげに演奏する時、ブロムシュテッドはシューベルトから若者の英気を受け取り、それによって若々しさを回復させた、と思えてならない。
 次回はグリーグのピアノ協奏曲とニルセンの交響曲第3番。ブロムシュテッドのいわば故郷ものだ。ブロムシュテッドはまたどのような変貌を見せてくれるだろうか?