2012-01-01から1年間の記事一覧

宮大工と船大工・・・佐藤造船所その後

時間が少し戻って26日の話である。石巻は、今月すでに2回目の真冬日。おまけに1日中強い西風が吹いて、本当に寒い1日だった。 昼下がり、例の(←『それゆけ、水産高校!』63ページ参照)佐藤造船所へ行った。用事が済むと、佐藤さん(弟)が、「せっ…

渡波で御用納め

今日は御用納め。鳴子から戻った翌日から3日間は、学校に行った。石巻北高の校庭に建つプレハブ校舎ではなく、渡波の水産高校である。そう。宮水は、12月22〜23日に引っ越しをして、元の校舎に戻ったのである。復旧したのは校舎だけで、実習施設の復…

文は人なり?・・・Mariaの言葉

数日前のこと、私の本は、あちこちで買えるようになっているのかな?と少し気になったので、いくつかのネット書店を覗き見してみた。すると、既にどこでも扱っているようだったが、Amazonには既にレビューが出ていた。Mariaと署名がある。もちろん知らない。…

自然の声が聞こえる人たち

そういえば、先週の修学旅行の時に、以下のようなことを考えていた。少し大切なことに思われるので、今更ながら書き留めておきたい。 修学旅行の1ヶ月くらい前から、個人的に予習(復習)をしていた。奈良の古寺や、それを守り作ってきた職人たちが書いた本…

寂しい上野々スキー場

今日は平日である。にもかかわらず、友人の家族と一緒に、昨日から鳴子温泉に行っていた。ま、私的な忘年会である。 メジャーな温泉地の中では、鳴子が私のお気に入りである。何しろ、源泉が9カ所もあって、9種類のお湯が楽しめる上、「鳴子ホテル」という…

今日が開設3年目です

なんとびっくり、このブログを開設してから今日で丸3年となった。異動したという事情もあるが、「月曜プリント」の公開ツールから、こちらがメインへと変化し、その記事はついに本にもなってしまった。ブログの開設を当時の生徒たちから強く勧められていた…

読書は暇人のすること?

昨日、修学旅行について書いた学級通信を引用したが、実は、修学旅行で最も印象に残ったのは、錦町市場でも法隆寺でもない、某生徒との以下のような会話であった。印象的だったのは内容の方だが、そのちぐはぐさもなんだか楽しい。 帰りの大阪空港での出来事…

「ありがとう」の修学旅行

(12月21日付学級通信より) 【特集:修学旅行!!・・・】 本当に慌ただしい弾丸修学旅行が終わった。なんだか、「修学旅行」という何かを駆け抜けてきたような気さえする。高校でたった2泊の修学旅行は珍しい。宮水は柄にもなく(笑)、授業の確保と…

12月16日付『河北新報』「持論時論」裏話・・・パチンコ等について

昨日、12月16日付『河北新報』掲載の拙論について、新聞社の手が加わっているが、校正段階で私自身が了承したものである、と書いた。実は、一カ所だけ、私の意見が通らず、積極的に了承したつもりもない場所がある。紹介しておこう。 それは、最後の一文…

12月16日『河北新報』「持論時論」の記事

12月16日付『河北新報』「持論時論」という所に、私の作文が掲載された。先月28日にこの場に書いたものの焼き直しである。タイトルは、新聞社が付けたものであって、私が付けたものはボツになったらしい。その他、少し新聞社によって手が加えられてい…

期日前投票の不思議な仕組み

いよいよ明日が投票日である。私は、修学旅行引率のため、明日は投票に行けない。そこで、もちろん期日前投票というのに行った。 12月7日(金)、午前が文化祭の準備で午後が校内発表というこの日、少し学校を抜け出すくらいは出来たので、渡波総合支所と…

「説明責任」という言葉の意味

しばらく前の話になるが、県内のある高校の教員と四方山話をしていて、相手方の学校の職員会議の話になった。非常に強く印象に残った話だったのだが、ま、面倒を起こすことになったら嫌だなという自制心が働いて、一文を書くことはなかった。ところが、衆議…

「生徒会」とは誰のものか?

(12月11日付学級通信より) 復興祭明けの日曜日は、娘のピアノ発表会だった。まだ12月上旬だというのに雪が積もり、石巻では最高気温がマイナス0.3度で真冬日だったとかいうこの日、前谷地にある遊楽館に足を運んだ。娘がステージに立った第1部は…

お待たせしました・・・『それゆけ、水産高校!』本日刊行

一昨年このブログに掲載していた「水産高校だより」が姿を変え、『それゆけ、水産高校!』として、成山堂書店(海洋関係書籍の有名出版社です)から、本日刊行されました。ブログ「水産高校だより」を大改訂の上、被災記録(昨年1年間の記録)を付け、地図…

公務員の政治活動についての判決雑感

昨日の新聞各紙に、7日に出た国家公務員の政治活動についての最高裁判決の記事が載った。2004年3月と2005年12月に、厚労省の元職員が、勤務時間外に共産党機関紙『赤旗』の号外を一般のマンション及び警視庁職員住宅で配布し、国家公務員法違反…

明日は「復興祭」一般公開

宮水では、今日から2日間、文化祭である。例年は、宮水の文化祭を「錨章祭」と呼んでいるが、今年に限っては「復興祭」と言う。今月末に、石巻北高のプレハブ校舎を撤収して、渡波にある従来の校舎に戻るのを記念し、10月20日に予定されていたものを、…

ヘルベルト・フォン・カラヤン

もともとそんなつもりはなかったのだが、マニアックな記事を3日連続で書く。今日でやめる。 カラヤンである。ベルリンフィルの終身音楽監督であると同時に、ウィーン国立歌劇場芸術監督、ザルツブルグ音楽祭芸術監督となり、「帝王」の異名を持った。チェリ…

サー・ゲオルク・ショルティ

昨日マゼールについて書いたついでに、ショルティについて書いておこう。と言っても、この二人の間に何か関係があるわけではない。20世紀を代表するような高名な指揮者について、なんとなく書いておこうという気になったという、私の内部問題である。 1ヶ…

ロリン・マゼール

日曜日の夜9時からのEテレが、「N響アワー」から「らららクラシック」に変わって以来、ほとんど見ることがなくなった。その歯の浮くような番組名も気に入らないし、クラシック音楽に馴染みのない人にも分かるようにというコンセプトが、妙に中途半端な番…

白か黒か分からないのは黒である

大飯や敦賀原発の地下に活断層があるとかないとかもめている。聞いていてとても不思議な気分になる。 なぜ、原発の地下の活断層が問題になっているかと言えば、言うまでもなく、それが動いた時に原発は致命的なダメージを受け、取り返しの付かない大事故とな…

これが「幸せ」の姿!

先の日曜日、帰宅してテーブルの上にあった新聞の山を見ていたら、その日の『河北新報 第2朝刊(=子供用の新聞)』というものに目が止まった。私もよく知る今春の宮水卒業生・遠藤裕太郎君が取り上げられ、大きな写真が載っているではないか。見出しには、…

通過する新幹線

(11月29日付学級通信より) 先の3連休、私は群馬へ行っていた。24〜25日、ちょっとした仕事で水上(みなかみ)温泉に行く必要があったので、1日早く家を出て、群馬県内の私鉄に乗ったり、近代日本の文化遺産・富岡製糸場を訪ねたりした。晩秋の田…

「文化汚染」こそ問題だ・・・「抜本塞源」の思想を!

組合の全国学習会にもまじめに参加した。宮城の高校からは2名、小中からは12名、そして全国からは300名あまりの人が参加していた。 最初に、ジャーナリスト・斎藤貴男氏による講演、その後、分科会討議となる。私が参加したのは、第4分科会「民主的な…

群馬「大」旅行(2)・・・富岡製糸場のことなど

群馬県の地図を見ていて、「富岡製糸場」という言葉が目に止まった。八幡製鉄所と並んで、殖産興業、富国強兵に努めていた明治維新の日本を代表する官製工場として、小学校(中学校?)の社会科の時間に強く頭に刻み込まれた名前である。水上温泉には昼過ぎ…

群馬「大」旅行(1)・・・わたらせ渓谷鐵道など

1ヶ月ほど前、職員組合の本部から、「11月24〜25日に、群馬県の水上温泉で教職員組合の全国学習会がある、行きたければ行ってもよい」との話が来た。確認してみると、考査明けで採点の心配はあるが、とりあえず体は空いている。行ったことのない場所…

「やればできる」という言葉の使い方

(11月22日付学級通信より) 中間考査ごくろうであった。(本当に「ご苦労」なのは私たちだと思うけど・・・) 寒い。我が家はまだストーブに火を入れていない。朝起きるのが、少しおっくうになってきた。そろそろストーブの季節かなぁ、ズボンも冬用にする…

今年の教育長交渉

今日は、年に一度の教育長交渉があったので、仙台(県庁)へ行っていた。 私は、組合の交渉も、被災地の様々な説明会と同様、時として非常にエゴイスティックで狭量な追求が行われるので、嫌だなと思うことがたびたびある。しかし、今日は、時間が限られてい…

「遊ぶ」と「楽しい」はどこにでもある

水産高校が、早ければ9月末、遅くても年内には渡波(震災前の校舎)に戻りそうだというので、夏休み前から、それに備えて下の子供の保育所探しをし、10月1日から、石巻小学校校庭に建つ児童館内の「市立石巻地区保育所」という所に通わせ始めた。市内に…

『春の祭典』よりも『屋根の上の牛』

仙台フィルの定期演奏会に行った。常任指揮者パスカル・ヴェロの指揮、チャイコフスキー『白鳥の湖』からヴェロによる抜粋、ミヨーのバレエ音楽『屋根の上の牛』、ストラヴィンスキー『春の祭典』というプログラムである。私の目当ては第1に『春の祭典』、…

YS-11の設計部長

訃報欄を見ていて、故人の名前よりも「YS11」という国産旅客機の名前の方が、先に目に入った。その設計に携わった人で、開戦時の首相・東條英機の息子である東條輝雄氏の訃報であった。98歳。ははぁ、それなら見たことのある名前だぞと思って、書架か…