今年の教育長交渉



 今日は、年に一度の教育長交渉があったので、仙台(県庁)へ行っていた。

 私は、組合の交渉も、被災地の様々な説明会と同様、時として非常にエゴイスティックで狭量な追求が行われるので、嫌だなと思うことがたびたびある。しかし、今日は、時間が限られている(課長交渉と合わせて3時間半)こともあって、基本的に執行部が話をし、一般席からの発言を制限していたせいか、非常にいい交渉となった。特に、宮城県職員組合(小中学校の組合)の委員長・高橋達郎氏は、驚くほど調べがよく出来ていて、ほれぼれするほど立派な追求をしてくれた。以前から優れた教育実践家だとは思っていたが、教育運動家としても一流である。

 ところで、上に書いたとおり、一般席からの発言は制限されていたのだが、小中から1名、高校から1名が、あらかじめ発言者として予定されていた。高校からの1名とは私である。広く県全体の教育問題について意見交換をする場なので、水産高校だけの利益のために話をするわけにはいかなかったが、被災校の代表としてということだったので、いささか一般性には欠けると思ったが、以下のような話をした(ここに載せるに当たり、多少の加除訂正を施した)。


1)被災校のマンパワーについて

 学校では、平時でも、勤務時間内に仕事を終わらせることの難しい状況が常態化している。教育長自らも冒頭で述べたとおり、生徒が来ていれば通常の業務があり、震災からの復旧に関する作業は、全て外付けとなってしまう。にもかかわらず、人的支援はない。

 最も問題が典型的に表れているのが、現在の水産高校事務室だ。あまりにも過剰な仕事のために、4名体制だった事務室で、9月から事務次長が病休に入り、今月からは主査も病休となった。今は事務室長と若い主事、それに事務職経験のある臨時職員と、経験のないおばさん2人でやりくりしている。1ヶ月あまり後に引っ越しを控え、2万点もの物品について入札をしなければならず、当面、出張旅費に関わる作業は停止ということになった。このままでは、残る2人もいつ倒れるか分からない。震災による負担を被災校に押しつけるのではなく、全県で公平に負担するという発想に立って、人の融通をお願いできないものか?

2)寄宿舎(寮)について

 宮水は、宮城県の中心的な水産高校である。しかし、現在、仙石線が不通となり、約3年は復旧が見込めない。下宿が被災した上、今は全国から災害復旧に関わる様々な業者が入っていて、ホテルも下宿も確保できないのが実情である。こうなると、宮水は、宮城県の水産教育を担うというのは建前で、実際には石巻地区の低学力層を収容するだけの学校になってしまう。宮水の実科の教員は、水産のプロを育てるという強い使命感と責任意識を持っている。私たちは低学力の生徒を取りたくないのではない。成績はどうでもいい。水産を学びたいという生徒が欲しいのだ。

 宮城県は、金華山沖という世界的漁場のお膝元で、「食材王国」の看板を掲げる県だ。実際、震災以降、県の水産業復旧に賭ける姿勢は素早く、積極的なものだった。港湾の整備も進んでいるし、漁協の強い反対を押し切って知事が漁業特区の創設を実現させたのも、そのような姿勢の表れであろう。

 しかし、その中にあって、宮水だけはまったく置き去りにされているという印象を持つ。宮城県水産業を重要な県の産業として位置づけていくのであれば、それを支える人材を育てる水産高校に、全県から水産を志す生徒を集める取り組みが必要なのではないか。そのためには、どうしても寄宿舎が必要だ。宮水のためではなく、宮城県水産業振興策の一環として、ぜひ寄宿舎の整備をお願いしたい。問われているのは、宮水を将来の宮城県水産業の担い手を育てる学校と位置づけるか、石巻地区の底辺層の受け皿として位置づけるか、という判断である。

3)引っ越しについて

 あと1ヶ月で、渡波の旧校舎への引っ越しが実現するらしい。少しでも早く、引っ越しが実現するようにと配慮して下さったことに感謝する。

 しかし、私たちが見る限り、本当にこの校舎に引っ越すのか?というのが実感だ。海水につかった部分は、金属製のドアやレールがぼろぼろにさび、壁にはカビや塩が浮いている。

 マンパワーの問題で指摘したとおり、学校は、もともと通常の業務だけでも余裕のない状態である。直すべき箇所は直したから、不足があれば自分たちで何とかしろ、というのは酷なのではないか?ぜひ、引っ越しの前に、教育長自身が渡波に来て、校舎の状態を見て欲しい。

以上


 実は、宮城県では、この20年ほど、教育長は行政職から出ていた。それが、今春、本当に久しぶりに教育職から任命された。つまり、学校で起こっている多くのことについて、机上の空論を述べるのではなく、学校の実情に基づいて考えてもらえるのではないかという期待が出来るのである。

 しかし、私の話のみならず、今日の交渉(人事異動や教職員の長時間勤務問題が中心)に対する教育長の反応は、ひどく鈍かった。残念ながら、「いい学校」についての考え方が全く異なるか、もともと学校をよくしようという発想など全然ないか、だと思う。世間でも教育については、いろいろと取り沙汰されているが、教育行政の最前線にいる人たちがこれだから、少なくとも私の目には、学校なんてよくなりようがないと見える。今頃、向こうは向こうで、だから組合はダメなんだ、とか愚痴をこぼしていることであろう。世の中は難しい。