2012-08-01から1ヶ月間の記事一覧

「延安」旅行案内(2)・・・宝塔山と日本労農学校(前)

延河大橋から徒歩3分、南川河が延河に流れ入る場所に宝塔橋という橋があって、ここを渡ると、正面に宝塔山の料金所がある。私が5時を過ぎてから行ったためか、この料金所は既に閉まっていた。しかし、ここから北にほんの少し歩いた所に、宝塔山の正式な登…

「延安」旅行案内(1)・・・序と概況

多少なりとも中国の現代史を知る人間にとって、「延安」という町は非常に有名で、しかも一種独特の感慨を催させる響きを持っている。 中国は、外国人の自由旅行を長く許可していなかった。個人旅行が可能になったのは1985年頃ではなかったかと思うが、そ…

いじめは増え続けるさ

大津市での事件をきっかけに、今改めて「いじめ」についての議論がかまびすしい。一昨日だったか、大津市の事件について第三者による検討委員会が発足したという。いじめを今後再発させないためにどうすればよいのか、検証・検討を進めるという。 いじめが何…

携帯電話とタバコ

中国でも携帯電話が普及していることは、既に知っていた。行けば、街には「手機」という携帯電話を意味する中国語が目に付く。大抵は、携帯電話の販売店であるが、「手機維修」と修理屋らしき看板もけっこうあって、これは日本と違う。携帯電話って、そんな…

宮水の夏

宮水の夏休み、7月半ばから1ヶ月間、K先生が品科学類型3年食の生徒2名を連れてアメリカ・ニュージャージー州に、8月半ばにA先生が、JRCの生徒1名を連れてタイへ行っていた。この他に、2年生が1名、1ヶ月間、アメリカ・マサチューセッツ州へ行…

中国革命への誘い(2)

指導者だけではない。中国革命の時期の共産党支配下というのは、「大衆」がその可能性を花開かせた時期でもある。「大衆」というものを、私も今まで冷ややかに描くことが多かったが、そのような大衆の愚かさ、危うさというものは、延安時代の「大衆」には当…

中国革命への誘い(1)

革命聖地・延安は、今年5月から10月まで、「第首届紅色文化旅游季(第1回紅色文化旅行期)」というキャンペーンが行われていることもあってか、多くの中国人旅行客で賑わっていた。しかし、先日書いたとおり、日本人や西洋人旅行者の姿は見られなかった…

尖閣諸島はなぜ、誰のものか?

(8月21日付学級通信より=大幅に改) やれやれ、早くも新学期である。 夏休み中、私は学校を留守にすることが多かったので、副担の杉山先生に「よろしく」と言ったところ、「生徒って、担任がいない時に限って問題起こすんですよね」と言われ、ドキッと…

中国の印象

予告通り、8月5日から17日まで一人で中国に行っていた。実質的には11日間に過ぎないが、今時の高校教員にしては贅沢な時間の使い方が許されたものだと思う。 泊まる場所や列車の切符の心配をしながら旅行するのを、意外なほど面倒に感じた。旅行それ自…

藤野厳九郎記念館・・・その2

『仙台における魯迅の記録』によれば、藤野先生は、1874(明治7)年7月1日に、現在の福井県坂井市下番で医者の家庭に生まれた。愛知医学校(現名古屋大学医学部)を卒業後、多少の紆余曲折を経て、1901(明治34)年10月から、仙台医学専門学…

藤野厳九郎記念館・・・その1

出かける前に、福井で手に入る半日の自由時間に何をするか、例によって(←2月6日記事参照)地図を見ながら、面白そうな場所探しをした。私の目に留まったのは、芦原(あわら)温泉にある「藤野厳九郎記念館」である。この名前を見付けた瞬間、「ああそうだ…

えちぜん鉄道・・・究極の臨時駅の話

29日(日)は、移動日だった。恵那から名古屋までは中央線の快速で1時間強、そこから福井までは特急だと2時間半、合計4時間弱で着いてしまうので、どこへ寄り道をしようかと悩んだ。気が狂うほど暑いというのは予想できたので、これは外をうろうろ歩くよ…

恵那の夜・・・「いい仲間」が最高の肴

NIE(Newspaper in education )の全国大会というものがあって、福井まで行って来た。大会は30〜31日だったのだが、家を出たのは28日(土)である。ちょっとした縁があって、震災後の被災地の様子や教訓を話して欲しいと、岐阜県恵那市大井町町づくり…