宮水の夏休み、7月半ばから1ヶ月間、K先生が品科学類型3年食の生徒2名を連れてアメリカ・ニュージャージー州に、8月半ばにA先生が、JRCの生徒1名を連れてタイへ行っていた。この他に、2年生が1名、1ヶ月間、アメリカ・マサチューセッツ州へ行っていた。国内でも、8月頭に2日間、食品2年生が缶詰製造実習のため八戸水産高校に行ったし、JRCの生徒4名が徳島に行ったりもした。全て震災に関わる「支援」のようなものである。確かに、中には自宅を流されたといった生徒はいるのだが、必ずしも大きな被害を受けた生徒が招待されるわけではなく、どちらかというと震災のおかげでいい思いをしている、の感が強い。
昨夜は宴会であった。生徒引率で海を渡ったK先生とA先生の有志による慰労会。場所は、石巻の誇る中華の名店「揚子江」である。色々な話が聞けて面白かった。
K先生たちをアメリカに招待してくれたのは、「組織」というより数名の篤志家だった。アメリカで水産業に関わる事業を興した日本人の家庭に滞在し、水産関連施設等をあちこち見せてもらって、とてもいい勉強になったそうである。案内してもらう途中で、魚を卸す会社を経営しているホストから、「アメリカでは魚料理が急速に評価を高め、水産業の成長が著しい。これからは世界中で水産業の時代がやって来る」とずいぶん盛んに焚きつけられたらしい。この言葉に意外の感はない。確かにその通りだろう。今まで、日本以外の国で、水産業が不当に低調だっただけだと思う。
これは、いかにも水産高校の将来が明るいということを物語っているようだ。しかし、この点につては、私は楽観していない。日本でもともと水産業が盛んで、魚食文化が発達していたからと言って、今後、世界の魚食文化や水産業を日本がリードしていくとは限らない。開拓者の利は、最初のうちにしかないだろう。「お家芸」と言われた柔道で、金メダルが1個しか取れなかったようなものである。水産業の明るい将来を見通しながら、油断のない精進をせねば・・・。