2011-04-01から1ヶ月間の記事一覧
被災地の復興計画ということが、頻繁に語られている。無理もない。津波によって更地同然という場所が、極めて広範囲にわたるわけだから、新しい街作りのチャンスとしてこれほどの状態というのはない。 昨日の『河北新報』によると、村井宮城県知事は、津波で…
昨日、我が娘が小学校に入学した。宮城県の小学校のほとんどは、一昨日入学式を行ったのに、なぜ娘の小学校は昨日になったかというと、入学する予定だった門脇小学校が震災当日の火事で全焼してしまい、門脇中学校に間借りして学校を再開することになったと…
既に書いたと思うが、家族も自宅も無事であった我が家も、車が2台水没し、250万円余りの被害を計上した。車を捨てるいいチャンスだ、とさばさばした気持ちで居たのだが、日が経つにつれて、なしでは済まないということに気付いてきた。津波と火事とで、…
今日、遂に、我が家でガスが出るようになった。これで、いわゆる「ライフライン」が全て復旧したことになる。我が家は、ガスは台所のコンロだけ。給湯システムは灯油+電気のボイラーなので、先月22日に水道が来てからは、風呂にも入れるようになって、電…
福島の原発の事故は、震災当初から、家族の安否確認を別にすると、私にとっての最大の関心事だった。チェルノブイリを思い出すまでもなく、福島原発から石巻までの110Kmという距離は、深刻な原発災害のレベルでは、「至近」と言ってよいものである。原…
被災地石巻には、全国から続々とボランティアが集まっている。ボランティアセンターが石巻専修大学にある都合もあって、石巻専修大学のキャンパスには、100をはるかに上回るほどのおびただしいテントが立ち並んでいる。まだまだ寒い中、全国から馳せ参じ…
数日前、『国境なき大陸 南極』(柴田鉄治著、冨山房インターナショナル刊)という本を読んだ。故・西堀栄三郎(第1次南極越冬隊長)の著書の影響か何かで、私は以前から南極大好き人間なので、図書館で見つけて手に取ったものだ。著者は、新聞記者であるが…
大地震があったからこその人間関係復活のドラマは、まだまだ続いている。 4月4日には、東京在住の友人I君夫妻が、支援物資を持って我が家に遊びに来てくれた。約20年ぶりの再会である。 6日には、有名なイタリア料理のシェフ・落合努氏が、宮水の近く…
今年の2月、私の元に「連翹忌のご案内」なる文書が届いた。差出人は「高村光太郎談話会」とある。「連翹忌」とは、4月2日=高村光太郎の命日であり、毎年この日、「談話会」が主催して、東京で光太郎を偲ぶ宴席が設けられていることは知っていた。私の高…
福島の原発や大槌町の防波堤(通称:万里の長城)に関する報道を中心に、「想定外」という言葉を頻繁に耳にする。確かに1000年に1度の津波である。「想定」して策を立てろと言う方が間違っているのだろう。しかし、自然の力は圧倒的に大きく、人間の予…
昨夜遅くに、M7.1の余震があった。石巻の震度は不明(!)であった。周囲の震度から想像するに、「6弱」か「5強」と思われる。ということは、マグニチュードこそ3月11日に比べると相当小さいものの、揺れの大きさは少し小さい程度だったということ…
当初350名もいた宮水の避難者は、遂に51名にまで減ってしまった。今は、体育館で、宮水の教員がほとんど関わることなく、市が支える形で自治的な生活をしている。そして次の日曜日、4月10日で宮水の避難所は閉鎖となる。人数が減ったためで、近くに…
昨夜は、畏友・久田光政氏率いる「愛知ボランティアセンター」ご一行様11名が、我が家に泊まっていた。そこに、名古屋テレビのスタッフ4名が同行してきた。我が家で多少の撮影が行われたので、ローカルテレビ故に見ることの出来る人は少ないが、お知らせ…
昨年春に異動して以来、ブログに「水産高校便り」と称して、水産高校とはどのような場所かという私的レポートを書き続けてきた。もともと、単なる自分の好奇心のはけ口であって、連載するつもりなどなかったし、連載したからどうというものでもないのだが、…
震災後3週間目を迎えた。年度が変わったからでもないだろうが、今まで1日4往復だった仙台行きのバスも、今日から一気に22往復に増便された。我が家に一番近い商店(一応体裁はコンビニだが、24時間営業などという節操のないことはしていない地元のお…