被災地のボランティア



 被災地石巻には、全国から続々とボランティアが集まっている。ボランティアセンターが石巻専修大学にある都合もあって、石巻専修大学のキャンパスには、100をはるかに上回るほどのおびただしいテントが立ち並んでいる。まだまだ寒い中、全国から馳せ参じ、食料持参のテント暮らしで、ヘドロの海と格闘する方々には本当に頭が下がる。

 一方、一応被災者の一人でありながら、車を失ったことを別にすると、一向に被災者らしくない私は、宮水で避難者の世話をしたり、時に少しばかり知人宅の手伝いに馳せ参じることなどはあっても、あまり復旧に貢献している存在ではない。先週末は、また愛知からボランティアの面々がやって来たのであるが、私は彼らが乗ってきた大型バスの運転手さんを自宅に連れてきて、仮眠の場所を提供し、また彼らをバスまで送り届けるという、いわばボランティアを支えるボランティアという変な役回りをしていた。

 ところで、前の土曜日、運転手さんを迎えに、人から借りた車で湊小学校に行ったところ、すぐには運転手さんを連れて帰れない事情があったので、せっかくだから何か手伝おうと、ボランティアの面々と一緒に、約1時間半に渡って、不要な段ボール整理と支援物資搬入に携わった。意外にも、これはなかなか楽しい時間だった。なぜこんなに楽しいのだろうかと考え、思い当たったのは次のような理由だ。

1:誰からも強いられていない自発的活動である。

2:みんなで一緒に作業している。

3:人の役に立っているという実感が持てる。

(4:可愛い女の子・素敵な男性がいっぱいいる)

 ボランティアに限らず、これらは人が意欲的に活動に取り組むための普遍的な3(4?)条件だ。こう考えると、私が宮水避難所でやっていたことは、これらのうち1が怪しい(4は論外)ために、ボランティアとは言えないことがはっきりする。

 かの久田氏率いる「愛知ボランティアセンター」の活動は、アイデアに満ちていた。どこでも避難所の物資は過剰であるが、過剰の筆頭格である衣料品など、「春物の新品」をそろえることによって他からの物資と差別化を図り、歓迎されていた。また、愛知で支援物資を集める際、輸送費として段ボール1箱当たり500円を出してもらい、その後、整理しながら物資を詰め替えていく時に箱数を減らし、黒字を増やしてレンタカー代と活動経費を捻出しているそうである。

 みんなで作業といい、活動上の創意工夫といい、仕事の片手間でやるのが大変だということを別にすると、ボランティアマニアが出現してもおかしくないほど面白く、奥の深い世界だと思った。なかなか、組織に参加して、日常的にボランティアをするのは大変だが、飛び入りボランティアも居場所(やること)はたくさんある。私ももう少し何かしなければ、と思いつつ、いつ再発するか分からない「腰痛」が恐いなあ、と二の足を踏むのであった。