鯨と耳垢

 ちょっとした事情で私的に超多忙なので、更新が滞りがちになるかもしれない。この間の出来事に関して、3つ書いておく。
(その1)
 週末毎に素晴らしい秋晴れが続いていた。暇ではないにしても、休日出勤というようなこともないので、日中、時間を作っては、例によって牧山という山に走りに行った。日和大橋と牧山と日和山とで累積標高差300m強、1時間半のいいジョギングコースである。
 そうしたところ、日曜日の朝日新聞宮城県版「ぶらり まち語り」という4分の1面を超える大きなコラムに、「石巻・牧山 カモシカの気配」という記事が出た。私は走り終えてからその記事を目にしたのだが、それによれば、私が毎週走りに行く大門崎から零羊崎神社に至る山道で、ニホンカモシカが目撃されたのだという。「牡鹿半島では近年、鹿の数が急増しているという。餌が競合する鹿に生息域を奪われ、人家に近い牧山までやってきたのか。」と記者は書く。
 以前、この道でタヌキやイタチに遭遇した話を書いた。先週は、目の前をウサギが横切っていった。人里に近いとは言え、4㎞にも及ぶひっそりとした山道である。途中どんなに多くても3人に会うことはない。動物の気配が濃くなるのは当たり前だ。よし、次に見られるのはカモシカだな、と楽しみになってきた。
(その2)
 先週の金曜日、勤務先を2時間早退して石巻専修大学に行った。「ライフサイエンスセミナー」というイベントに、南極の専門家が来るというので、話を聴きに行ったのである。
 見たところ、学外者は私だけであったが、広く一般市民にも公開されていることになっている。1990年8月10日に第1回を開催してから、今回で第86回。地道で息の長い取り組みである。広い講義室には、石巻専修大学の先生数名と、学生が数十人集まった。
 今回のゲストは、東京の専修大学教授で地質学が専門の佐藤暢氏と、国立極地研究所助教南極海の生態系が専門の真壁竜介氏であった。佐藤氏は「南大洋の形成と環境変動」、真壁氏は「南大洋季節海氷域の生態系」という演題で、それぞれ1時間弱のお話をした。
 どちらもたいへん興味深いお話であったが、特に佐藤氏は、日頃教養課程の学生に地学を講じているというだけあって、お話が大変明解。私でもさほど苦労することなく理解出来た。
 2人のお話が終わった後、質問を募ったところ、多くの学生が一斉に手を挙げたので驚いてしまった。ここは日本である。学生が誰も質問しないので、「平居先生どうですか?」などと振られるのではないかと思っていたのに、である。しかも、人間学部とか食環境学科とか、この日のテーマと直接関係なさそうなことを専門にしている学生が多く質問したのもいいと思った。質問が30分ほども続き、某教授が「これで最後にしますね」と打ち切ったほどである。日本の大学生(石巻専修大学生?)もなかなか捨てたものではない。
 中に、二酸化炭素濃度の上昇予想を問題にした女子学生がいて、「IPCCの予想のような形で上昇することを押さえるためにはどうしたらいいですか?」と質問したのには、少し不思議な感じがした。講師は、自然科学者としてよりも、一市民としての立場で答えると断った上で、二酸化炭素を出さないようにすることの大切さを言いつつ、それはなかなか難しいからと、空気中の二酸化炭素回収方法の現状に言及していた。
 私は、そんないつ実現するというあてもない方法に期待するよりも、私たちができる限り二酸化炭素を出さないようにするしかないではないか、と思う。そんなことは出来ない…などと言っては元も子もない。各個人が自家用車を持つなどというのが論外であるのはもとより、ものすごい量の使い捨て容器、輸入食料品などなど、それら全てが二酸化炭素をたくさん出していることから目を背けて、温暖化対策があると思うのがおかしい。私たちの生活の全てが、グラフにあったIPCCの予想に直結している。「〜なしでは生活できない」というのは、たいていの場合は「やる気がない」の言い分けバージョンだ。「スマホなしでは生活できない」を考えてみるとよく分かる。
(その3)
 日曜日は、小学校も中学校も登校日であった。石巻市の総合防災訓練があるから、ということだった。そのためにわざわざ登校日(当然、月曜日が代休)とは恐れ入る。9時に震度6地震が発生することになっていて、そのサイレンが鳴ってから、我が家の近所の桜坂高校に避難した上で、2次避難として登校とか、10時までに学校に来い、とか、ずいぶんのんびりしたことを言っていた。
 家族で大笑いしたのは、娘が通う中学校は標高約40mの丘の上に建っているのだが、津波の危険があるからと言って4階まで避難させられたとか、女川の原発が爆発したと言って窓を閉めた上で、「窓から離れろ」と指示された、といった茶番劇についてである。桜坂高校の避難所では、丘(日和が丘)の上の住人達が「逃げてくる途中にブロック塀も電信柱もあるのだから、絶対、家にいた方が安全だよね」と言い合っていたらしい。正しい認識である。
 よりによって、市の防災担当者とか学校の管理職といった「お利口」なはずの人たちが、なぜこんなバカげたことを考えるのだろう?津波の被害なんて、可能性と言い、被害の規模と言い、温暖化の影響に比べれば「象」と「鼻くそ」、いや「鯨」と「耳垢」くらい違うのに(もちろん温暖化が「象」「鯨」です)、津波の心配は過剰に出来るが、温暖化の心配はこの期に及んでも他人事、というのは本当に不思議だ。どうしても私には人間が理解出来ない。