2011-01-01から1年間の記事一覧

C型肝炎の記録(5)・・・一生に一度だけ

私は、IFNを使うことに決まってから、自分のウィルスの遺伝子型とウィルス量、それらと治癒率の関係についての情報を非常に気にしていた。これは、科学者的な発想ではない。自分のC型肝炎がIFNによって治癒する、という確信を得たかっただけである。…

C型肝炎の記録(4)・・・668の衝撃とウィルスの性質

1998年3月20日、私は単独日帰りで、岩手県焼石連峰の駒ヶ岳(1130m)を登りに行った。天候にも恵まれ、無事頂上に立ったが、車の所まで下山すると妙に体が重い。疲労感としてかつて経験のない種類のものであった。帰宅すると、Y医師から電話が…

C型肝炎の記録(3)・・・最初の肝生検

添えられていたC型肝炎の相談にふさわしい県医師会指定の医療機関には、私の掛かり付け医であるY医師も含まれていた。早速、相談すると、肝炎の確定診断には生検(組織検査)が必要だと言って、塩釜の坂総合病院を紹介してくれた。私は1993年3月10…

C型肝炎の記録(2)・・・HCV抗体の検出と感染経路

なにしろ肝臓という重要な臓器である。経過観察はした方がいいであろうという医者の勧めに従い、その後も約半年に1回のペースで血液検査を受けていたが、幸い1992年も異常値の出ないまま終わろうとしていた。 私は、12月の半ばにまた献血をした。する…

C型肝炎の記録(1)・・・アルコール性肝障害から始まる

昨日、酒について書いた。今日の夜は、卒業生が訪ねて来た。3週間ほど前に、私の都合についてメールで問い合わせがあった時、「じゃあ、26日に飲みにでも行くか?」と返信したところ、「僕は酒を飲まないので・・・」と返って来て、なんだか出鼻をくじかれた…

純米酒 日高見

天皇誕生日である金曜日は、朝から名古屋の私学・同朋高校の先生2名と生徒2名が我が家に来ていた。愛知ボラセンのバスで来て途中下車、ちょっとした縁のある石巻市立女子商業高校の生徒と交流するためである。その後私は、彼らを女川、寄磯、谷川と案内し…

編年体の思想・・・開設2周年を記念して

昨日は、このブログの2周年記念日であった。もともと、前任校の卒業生用だったが、「もともと」を知っている人、意識している人がいるかどうか分からないので、少し確認しておこう。 これは、前任校の何名かの生徒の強い勧めに従い、「月曜プリント」とか「…

長野で見ている人が居た

(12月22日付 学級通信 裏面より) 「長野県松川高等学校ボランティア部からの手紙」全文を引用(いい手紙だし、高校生が被災地のためにひたむきに何かを考える姿が誰かの心に響くこともあると思うので、このブログにも勝手に全文を引く。一部を太字にし…

彼が新聞記者!?!?

(12月22日付 学級通信より) 数日前のこと、ある小冊子を人にもらい、そこに載っていた某新聞記者へのインタビュー記事を読んでいた。記者の経歴を見て、私がかつて勤務していた高校の卒業生であるということ、しかも私が在籍していた時期と、彼が在籍…

『マグロ船仕事術』

一週間あまり前、私のすぐ近くに机のあるマリンテクノ類型所属の実習船指導教員M先生が、何やら熱心に本を読んでいた。そっとのぞき込むと、『マグロ船仕事術』(齊藤正明著、ダイヤモンド社刊)という本であった。さすがは実習船指導教員。1月12日から…

教研は夜作られる

昨日、金〜土に台が森温泉に行った話を書いたが、土曜日は温泉を9時半に出ると、私は仙台市内に向った。2月18〜19日に行われる「教育講座」という教職員組合主催の教育研究集会(教研)の実行委員会に出席するためである。 私は、人間が学ぶという時に…

台が森温泉

金曜日の夜は、1学年教員団の忘年会ということで、大和町の台が森温泉(山野川旅館)という所に行っていた。震災の影響で、長距離通勤者が増えた結果、宴会は泊まりでなければ大変だということになり、私が「台が森温泉」を希望したら、あっさり通ってしま…

雑事(宮水の修学旅行と湊中学校訪問)

水産高校は、昨日から明日まで、2年生が修学旅行に行っている。昨年、12月8日に書いた通り、もともと宮水は、2年生5クラスのうち、ハワイへの遠洋航海実習がある2クラスは修学旅行がない。今年の2年生も、残り3クラスで、大阪・京都へ行く計画が進…

文字は人なり・・・学級通信手書きの驚異!!

昨日はもともと学級通信を出す気はなかったのだが、6校時に特に予定のないHRがあって、中間考査の成績表を渡したりするつもりだったものだから、空き時間もあるし、1校時の途中くらいにふと書こうかなという気が起こった。ところが、いつも使っている今…

いじめる人の心理

(12月12日付「月曜プリント」より) どこの学校にでもある話だが、先週来、人をいじめるという話が時折聞こえる。HRでそのことについて少し説教を垂れたが、大事なことなので少し復習をしておこう。 ・いじめる人は弱い人である。 自分に自信がない→…

ファーストライト・・・原点は人と人(6)

12月1日、遠路はるばる長野県茅野市から、大学の同級生O君が車で我が家までやって来た。何でも、大学で学会の事務引き継ぎか何かの用事があったので、被災地で平居がどんな生活をしているか見に行ってみようと、足を延ばしてくれたらしい。 被災地とは言…

我が家で「映画」を撮る

今日は、朝から映画撮影の面々3名が我が家に来ていた。映画とは、私が試写会を見て10月13日にこのブログでこき下ろした門脇小学校の記録映画である。 私の娘が被災した時のことを書いた作文にスタッフが目を止めて、ぜひその朗読シーンを撮りたい、出来…

県立高校「復旧」の怪

一昨日、宮水に新しい45人乗りのバスが届いた。寄贈者は「経済同友会」である。先月の4日に新しい教習艇(小型船舶操縦士免許を取得するための操船実習用のモーターボート)と船外機付きの和船が寄贈されたが、寄贈者は「日本財団」であった。こうして少…

「成功」の対義語は何か?

(12月8日付第2次月曜プリントより、加筆訂正して転載) 先日、ある会議の席で、北高の保護者による車での送迎が多すぎる(100台ではきかないだろう)、しかも、そのうちの多くが車を校地に乗り入れて昇降口に横付けというのだから異常だ、という話に…

グレン・グールド

映画「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」を見た。わずか1ヶ月の間に、2本も映画を見たのは、学生時代以来であろう。前回取り上げた「1911」よりも、どうしても見たかったのはこちらであった。 11月1日の『朝日新聞』の評で、この映画の…

「幸せ」は測れるのだろうか?

(12月1日付「第2次月曜プリント」より、加筆訂正して転載) 11月18日(金)、3年生の選択の授業でE1の教室を借りた時、入ってきた3年生が「うわっ、何この教室?きったね〜ぇ!!」と大騒ぎしていた。その教室も、24〜25日、遂に大掃除が実…

モミジのドラマ

前任校(仙台一高)に通っていた頃、仙石線の榴ヶ岡駅で電車を降りて、南へと歩いていくと、新寺小路との交差点の所に、正雲寺というお寺があった。このお寺の裏手に、とても立派なモミジの木があって、今の時期、私は毎朝、その木を見るのを楽しみにしてい…

初志を貫く

(12月1日付「第2次月曜プリント」より加筆修正して転載) 日曜日、私は山形市在住の医師Oさんを訪ねた。Oさんは、私が名取市で小学生だった時、市のイベントで山形蔵王にキャンプに行った時の高校生ボランティアであった。ただそれだけの関係である。…

「心のケア?」・・・私には分からん

先週の土曜日、生まれて初めて日帰りで東京に行ってきた。全日本教職員組合(全教)という組織の全国学習会があって、その冒頭で被災地の学校から報告をして欲しいと、前々から頼まれていたのである。 11:30から、50分ばかりお話をした。3月11日以…

「バラへの三つの願い」・・・中国近代の作曲家・黄自(3)

せっかくの機会なので、黄自のその後について、もう少し書いておこう。 学生の指導にも作曲にも力を注ぎつつ、学外の更に多くの役職を兼務しながら、多忙な日々を送っていた詳細は、書き出すときりがない。ただ、1936年に、中国人による初めてのオーケス…

「バラへの三つの願い」・・・中国近代の作曲家・黄自(2)

我が家を探してみたら、ちゃんと「玫瑰三愿」の楽譜が出てきた。もともとこの曲は、バイオリンとピアノによる伴奏が付く独唱曲である。作詞者は龍楡生(龍七)。 玫瑰花、爛開在碧欄杆下。 我愿那妬我的無情風邪雨莫吹打! 我愿那愛我的多情游客莫攀摘! 我…

「バラへの三つの願い」・・・中国近代の作曲家・黄自(1)

先日、とある事情で仙台フィルの楽員の方数名とお話をする機会があった。中国近代の音楽家について、不遜にも半ば私が解説するような形でお話ししていたところ、突如、Oさんから逆襲を受けてしまった。 「ところで、『バラへの三つの願い』だったかいう曲を…

偉大な行為と人間味・・・ダニエル・ミッテラン氏

今日の新聞に、ダニエル・ミッテランという人の訃報が載った。「ミッテラン」という名前を見てすぐに思い浮かぶ通り、15年前に亡くなった元フランス大統領の夫人らしい。 『河北新報』の記事(国際面)は『朝日新聞』よりも詳しくて、読んでいて面白かった…

夜の音楽

もう2週間くらいになるかも知れない。同僚A先生が、「僕このECMっていうレーベル好きなんですけど、平居先生、聴いてみませんか?」と言って、1枚のCDを貸してくれた。見れば、『The Melody at night, with you.』というキース・ジャレットのソロア…

課長交渉(円滑な組織運営について)

今日は後段、課長交渉の一場面である。 私の目の前では、震災時の安否確認に教員が自分の携帯電話を使ったことについて、その費用を県が出すとか出さないとかいう話が行われていた。私は組合・県どちらの話も聞くに堪えず、あえて以下のように発言した。 「…