いじめる人の心理



(12月12日付「月曜プリント」より)

 どこの学校にでもある話だが、先週来、人をいじめるという話が時折聞こえる。HRでそのことについて少し説教を垂れたが、大事なことなので少し復習をしておこう。

・いじめる人は弱い人である。

 自分に自信がない→自信をつけるためには努力をするしかない→そんな面倒で大変なことは出来ない→人をいじめて優位に立ち、自信をつけたい。これが「いじめ」の基本パターンである。だから、いじめる人は弱く、安易で怠惰な人だ。

 かつてアメリカで、ある人が刑務所に収容されているレイプの犯人を調査した。それによれば、レイプの動機が「性欲」である場合はほとんどなく、基本的にレイプは「自分は強い人間だ」と思いたいがために、弱い女性に暴力を振るうということだそうである。まったくその通りなのだと思う。

 強い人ほど、自分に厳しく他人には優しい。

・いじめる人は視野の狭い人である。

 いじめる人は、自分の行為が、相手や自分の将来に対し、どのような影響を与えるかという事に、想像が及んでいない。いじめる側の人が考えているのは、「今、自分が楽しい」ということだけである。そんなことをすることが、相手にとって迷惑であるということも、自分をまったく成長させないということも考えることが出来ない。

 私たちが日々勉強しているのは、住んでいる世界を広げるためである、とは私がよく言うことだ。世界を広げるということは、想像の範囲を広げる=想像力を養うということでもある。だから、そのような想像が出来ない人は、勉強が足りないと言うこともできる。

 「今の自分」だけの世界から、少しでも遠くを見つめられるようになりたいものである。

 思えば、これらは、いわゆる「問題行動」の全てに共通することである。例えば、授業中に寝ているにしても騒ぐにしても、それは「心の弱さ」と「今、自分さえよければいい」という発想の表れであるという点で、「いじめ」と同じだ。そして、それらが最も迷惑で卑劣な形で表れているのが「いじめ」だというに過ぎない。

 いつも言っていることだが、常に自分を見つめ、自分と対話し、自分に打ち勝つこと、それらが「正しさ」と「成長」の基本条件である。


(補)

冒頭のエッセイは、昨日の記事を圧縮したもの。

他に中間考査についてのコメント。

裏面は、「朝日新聞」12月7日付から「美談か裏切りか 島の悲劇」と、11月30日付の「天声人語」。私のコメントはナシ。