ファーストライト・・・原点は人と人(6)



 12月1日、遠路はるばる長野県茅野市から、大学の同級生O君が車で我が家までやって来た。何でも、大学で学会の事務引き継ぎか何かの用事があったので、被災地で平居がどんな生活をしているか見に行ってみようと、足を延ばしてくれたらしい。

 被災地とは言え、我が家は何も困っていないから、手土産の類は要らないよと、強く言っておいたのだが、色々な物を運んできてくれた。そして最後に、「実はもう一つおもろいもの持って来てんねん」(O君は奈良県出身)と言って、車から下ろしてきたのは、何とびっくり反射望遠鏡である。

実は、4年ほど前に、私はO君に1枚の反射鏡をあげたことがある。私が高校時代、「足立光学」という値段の割に優秀な反射鏡を作っていたメーカーが東京にあって、当時天文少年だった私は、その12cmの反射鏡を所有していた。ところが、私の多忙ゆえに、この鏡はほとんど星の光を見ることが出来ず、新品同然のまま30年の長きに渡って、我が家の押し入れに眠っていたのである。「足立光学」も既になく、私も星を見ることとは縁遠くなっていた。4年ほど前に、大学以来20年ぶりくらいでO君と会う機会があり、やはり天文少年だったO君が、こちらは40歳を過ぎても今だ現役であることを知り、私はいささかの敬意も込めてこの鏡を差し上げた、というわけだ。鏡のためにもそれが幸せだと思った。

 来石したO君が運んできた反射望遠鏡は、この鏡を使ったものである。もちろんO君の手作り。毎日ではないらしいが、茅野から東京にある某国立の研究機関(天文学とは無関係)に通うO君が、なぜこんなことをする暇があるのか分からない。暇だけではなく、金もかかっている。架台こそ簡易な経緯台だが、主鏡を収めるセルにしても、斜鏡台や接眼部にしても、全て手作りというわけにはいかないから、いろいろ既製の部品も使われ、御丁寧にガイドスコープも付き、数種類の接眼レンズや調整工具も持ってきてくれた。

 当然、私は、「あの鏡はお前にやったんやから、こんなもんもらうわけにはいかへんで」(私も関西人)と言って受け取りを断った。O君は、「ええやんか、うちには他にも望遠鏡あるし、いろんな余っとる部品もあって、ちょうどそれが整理できたんやからええねん」と言う。若干の押し問答があって、結局この望遠鏡は我が家の物となった。

 後日、O君から届いたメールには、「口に出していえなかったのですが、あの望遠鏡は石巻でがんばっているはずの平居君に何かできないかと思って作ったものです。手渡したら、きっと、あれはお前にやったもんやと言われるだろうな思っていたら案の定でした。ぜひこの思いをくんで、お受け取りください。」とあった。こちらこそ案の定である。そして、O君は、この望遠鏡を届けるために、電車ではなく、わざわざ一人で車を運転して来てくれたのである。私は実にありがたいと思った。

 今年は、震災があったおかげで、旧交復活ラッシュと言うべき現象が起きているということ、どんな逆境にあっても、結局最後に頼りになるのは人と人とのつながりであるということは、これまでにも何回となく書いてきた。そして今回、やはりそのようなことを、しかしいささかもマンネリに陥ることなく、新鮮な気持ちで繰り返して書くことが出来る。嬉しい。

 ところで、昨日は皆既月食があった。O君も言っていたことだし、もともと10cmを超える口径の望遠鏡で月を見たことなどあまりないし、月食になれば空は暗くなって多くの星が見えるので、この望遠鏡の使い初めをすることにした。新造の望遠鏡で初めて星を見ることを「ファーストライト」と言う。この鏡は、30年ほど前に、わずかながら星の光を受けているし、O君も調整のためであれ一度くらいは星の光を通しただろうから、昨日の使い初めは、厳密には「ファーストライト」ではない。しかし、30年前とて、既製の望遠鏡に鏡だけ入れて、数回使っただけの鏡なので、それが今回新しい命を得て「星の目」を見るのは、なんともめでたいことのような気がする。やはりこれは「ファーストライト」と呼んでいいのではなかろうか?

 冷え込みが厳しく、皆既状態になった頃には風も出てきたので、あまり長い時間ではなかったが、月、木星、M42、すばる(プレヤデス星団)といった若干の星々を見てみた。土星が深夜2時過ぎに出て来るということで、見られなかったのは残念だったが、特に久しぶりで見た木星の美しさには息を呑んだ。妻は、恥ずかしながら理科の教員であるにもかかわらず、生で(=写真でなく)木星を見たのは初めてらしく、縞模様にも衛星にも大喜びをしていた。

 私が持っていて、ただの「星見物」に使うのはもったいない。さて、今後どのように有効利用すべきか、目下思案しているところである。

 ともかく、人と人とのつながり、人の気持ちというのはありがたいものである。