我が家で「映画」を撮る



 今日は、朝から映画撮影の面々3名が我が家に来ていた。映画とは、私が試写会を見て10月13日にこのブログでこき下ろした門脇小学校の記録映画である。

 私の娘が被災した時のことを書いた作文にスタッフが目を止めて、ぜひその朗読シーンを撮りたい、出来れば両親(私たち夫婦のこと)の被災体験もインタビュー形式で撮影したい、ということであった。2週間前、私が不在の日の夕方に一度来たのだが、これほど南浜町や海がよく見える場所なら、明るい時間帯にその風景も含めて撮りたい、父親(私)もやはりいた方がいいということで、今日改めて参上ということになったのである。

 もともと、私はこの記録が「映画」として成り立つかどうかに懐疑的だし、記録だけでも残すというなら、それは構わないが、それが何かの役に立つかどうかはこれまた懐疑的だ。ただ、こちらとしては特に面倒な作業を強いられるわけでもないし、珍しいことは全て大好きだから、お付き合いにやぶさかではなかったというだけである。今日撮影したカットが、最終的に映画に使われても使われなくても、私はぜんぜん気にならない。

 30分ほどで撮影は終了した。私の好奇心は、俄然、機材や制作の舞台裏に向った。せっかく監督もいるわけだから、少しだけではあったが、質問をした。私としては、疑問氷解で面白いこともいくつかあったが、わざわざここに書くほどのこともない。

 私にとって、映画は「フィルム」である。テレビ番組と映画の違いは、内容もともかく、フィルムかビデオまたは電子データかということだと思っていた。ところが、今日我が家に来たカメラは、テレビ局のカメラよりもずいぶん小さなビデオカメラであった。劇場映画は今でもフィルムを使うが、経費が非常にかかるので、ドキュメンタリーを始めとする多くの映画はビデオになっているのだそうだ。劇場映画にしても、フィルムで撮ったものを電子データ化して使用したり保存したりしているそうだ。アナログ愛好者である私としては、実に寂しい。映画に対して感じる私のロマンが、少し色あせてきた。

 10月13日の記事は、一保護者の感想として監督に差し上げてあった。特に気分を害したということも、意気喪失したということもなかったらしく、監督は「いろいろなご意見をいただけるのはありがたいことですよ」と、ニコニコ笑っておられた。こうして撮っている映像を、被災関連の様々な記事や本の執筆者によく見られるように、自分たちの作ったストーリーに合うようにねじ曲げたりする人ではないように見える。偶然、縁のあった者として、いい映画が完成するよう祈りたいと思う。