2012-09-01から1ヶ月間の記事一覧

西夏文字解読という偉業・・・西田龍雄氏のこと

昨日の新聞各紙に、西田龍雄氏の訃報が載った。西夏文字の解読者である。 昔、中学時代だったか高校時代だったかは憶えていないが、井上靖の『敦煌』を読んだ時、妙に印象に残った場面がある。主人公・趙行徳が、助けた女から礼として一枚の布きれをもらった…

文字で学べるから人・・・ではないのか?

(9月28日付学級通信より) 本当は、「期末考査ごくろうだった」と書き始めようと思っていたが、採点していて、余りにも勉強の跡が見えないので、バカバカしくなって止めた。来週から後期になる。心機一転、せいぜい頑張ってくれたまえ。 さて、先々週の…

実事求是の精神

尖閣諸島の国有化に端を発する中国国内の民衆運動(乱暴狼藉)については、世間で多くの論評が出ている。私の目から見て、暴論というようなものもなく、それぞれに共感・納得しながら、いろいろな記事を読み流していた。いつも思うことだが、中国や韓国は地…

故郷は遠きにありて・・・

先週の木曜日に、11月15日(校内マラソン大会)まで期間限定で走ろうかな、と書いたが、実は、その1週間あまり前から、少し走り始めている。 走り始めたものの、最初だからと自宅の周りを4〜5キロに抑えていたが、今日は日曜日なので、今年初めて北上…

人間ドック・修学旅行・金本引退

(9月20日付学級通信より・・・私が水曜日に比較的時間を取りやすいものだから、最近はすっかり「木曜プリント」になっています。) 1週間以上も前の話になるが、9月7日、仙台市内の某病院に「人間ドック」というのに行った。この年齢になって、人間ドッ…

仙台のコンサートホール問題

11日の『河北新報』「座標」欄に、仙台フィル参与大沢隆夫氏による、「ホールで更に進化を 楽都・仙台」という文章が載った。多くの豊かな音楽イベントがあり、音楽文化を育てようとしている仙台には、それに見合う立派なホールがない、何とかしなければ、…

今年の山小屋HR

一高山岳部が「山小屋ホームルーム」を主催するというので、この2日間、付き添いで山に行っていた。なんとびっくり!今年は20名の一般生徒が参加し、そのうち9人が女子という大盛況だった。 昨日は、大六天で車を降り、歩いて刈田岳に登り、昼食。素晴ら…

「延安」旅行案内(13)・・・その他の革命旧址

一昨日までに書いた場所しか私は行っていないのだが、手元にある資料を基に、多少の補足をしておこう。 延安市内に旅行会社はたくさんあって、様々なツアーを組んでいる。一日で、王家坪、楊家嶺、棗園などを回る数十元のツアーから、黄帝陵や壺口瀑布(黄河…

好奇心×行動力=∞

(9月13日付学級通信より 続) 【努力する人が主人公】 月曜日に、柔道の地区新人大会で、このクラスのT君が個人優勝した話を紹介し、昨日は栽培漁業類型のNさんが、県の産業教育高校生作文コンクールで優秀賞(県のベスト3)を獲得して全国審査に進む…

タヌキの出る家

(9月13日付学級通信より) 一昨日は、午後から昨年の副担S先生がいる県工業高校に行っていた(S先生には会えなかったけど…)。小会議室で、県内の実業高校生の作文を読みながら、なんだか暑いな〜と思って、エアコンがないことに気付いた。なんだエア…

「延安」旅行案内(12)・・・呉起と志丹

延安から、エドガー・スノーが初めて毛沢東と会った保安(今の志丹)までは約70キロ、中共中央が劉志丹軍と出会って長征を終結させた呉起鎮(今の呉起)までは約130キロである。 呉起や志丹に行くバスは、東関大街の東バスターミナルから出ている(瓦窑…

「延安」旅行案内(11)・・・清涼山または延安メディア

延河大橋のすぐ北側に、清涼山という山がある。ビルの林を抜けて延河のほとりに立てば、どこからでも見える。麓には、山の斜面にへばりつくように、窰洞住居をモチーフにしたデザインの「延安新聞記念館」がある。そのすぐ左側が清涼山の山門だ(7:00〜…

「延安」旅行案内(10)・・・棗園革命旧址

楊家嶺からさらに2キロ西に進むと、棗園革命旧址に至る。途中、右に今の延安大学、左に幹部学院や延安で最も巨大な建物である中国石油のビルを見ることが出来る。1944年から1947年3月まで、中共中央書記処が置かれた。毛沢東、朱徳、周恩来、劉少…

「延安」旅行案内(9)・・・楊家嶺革命旧址

王家坪から楊家嶺は、延河に沿った一本の線の上にあるので、バスは革命記念館へ行く時と同じである。王家坪から楊家嶺までは2キロほどなので、ここも歩いていくことが可能である。 バス停から、すぐ西の道(立派な看板が出ている)を山の方に数百メートル入…

「延安」旅行案内(8)・・・革命記念館と王家坪

延河大橋から延河に沿って北西に1キロ半ほど行くと、延安革命記念館の巨大な(国会議事堂スケール)建物が目に飛び込んでくる。バスだと、1路、3路、8路、12路、13路に乗って、「王家坪」または「王家坪革命記念館」で下りる(これら二つのバス停は…

「延安」旅行案内(7)・・・抗日軍政大学

延安には多くの学校があって、抗日解放戦争を指導する人材を育てていた。先日書いた魯芸もその一つである。しかし、何と言っても、最も有名なのは抗日軍政大学(抗大)と陜北公学(陜公)だろう。自分の専門とは言えないが、少なくとも抗大くらいは訪ねてみ…

「恥」の教え方こそ知りたい

(9月6日付学級通信より・・・8月21日のものは、ここに載せる価値がなかったので、あえて載せなかったが、8月30日のものは、中国にかまけてうっかり飛ばしてしまった。プリントそのものはちゃんと出ている。今日は少し話がネガティブなので、どうしよう…

「延安」旅行案内(6)・・・鳳凰山革命旧址

1937年1月に、共産党指導部が保安から延安に移ってきた時、最初に腰を落ち着けたのが、鳳凰山の東山麓であった。延河大橋から徒歩10分。街の中心から最も近い中共指導部の遺跡である。その名もズバリ中心大街を北に歩いて行くと、左手に「鳳凰山革命…

「延安」旅行案内(5)・・・橋溝の魯迅芸術文学院旧址(後)

橋溝には、1934年に完成した立派なゴシック式の教会がある。スペイン人の神父によって建てられたらしいが、当時の延安にはまったく場違いなものだったと思われる。この教会は、1938年9月に共産党の拡大第6期6中全会の会場として使用された後、魯…

「延安」旅行案内(4)・・・橋溝の魯迅芸術文学院旧址(前)

延安の市内バスは分かりやすい。市街地が山と川に挟まれて帯状に発達しているため、必ずバスはそこに沿って走るからである。街の中心から空港方面へ行く4路、5路、6路といったバスに乗ると、4キロ弱、15分ほどで橋溝の魯迅芸術文学院(魯芸)旧址に着…

「延安」旅行案内(3)・・・宝塔と日本労農学校(後)

労農学校で生活していた日本人は、開校当初こそ十数名であったが、終戦時には350名に達した(ただし、状況が流動的で、人数の確定は難しい)。政治学、経済学、社会学、日本問題、中国語、時事問題等についての学習が行われていた。 捕虜になった当初は、…