故郷は遠きにありて・・・



 先週の木曜日に、11月15日(校内マラソン大会)まで期間限定で走ろうかな、と書いたが、実は、その1週間あまり前から、少し走り始めている。

 走り始めたものの、最初だからと自宅の周りを4〜5キロに抑えていたが、今日は日曜日なので、今年初めて北上川の土手に行った。自宅から階段を駆け下りて東進し、河口から1キロほどの所で、北上川に突き当たる。ここから川岸と土手の上を約6.5キロ地点(開北橋)まで走る。いつもならそのまま同じ道を引き返してきて、自宅まで12キロ弱といった所なのだが、今はまだ無理があるので、開北橋から最短距離を歩いて帰ってきた。 途中にミヤコーバス(宮城交通)の石巻営業所がある。

 震災以来、バス会社にも全国から支援物資として多くのバスが届いた。もともとのバス会社の名前は消して、ミヤコーバスなり宮城交通と書かれているが、車体の塗装は変えられていない。いろいろな塗装のバスが止まっている様は、見ていてなかなか楽しい。ものによっては、塗装を見ただけでどこから来たバスかが分かる。

 今日、営業所前を歩いている時、向こうからそんな支援物資として届いたと思しき1台のバスがやって来て車庫入りした。濃い肌色とオレンジ色、白に塗られたバスである。見た瞬間、なんだかそのバスを見たことがあるような気がした。どこのバスとは分からなかったのだが、不思議なことに、ひどく懐かしさを感じた。

 通り過ぎてからも気になって、一体どこで見たのだろうと考え続けた。2〜3分して、はたと気が付いた。間違いなく、それは「神姫(しんき)バス」の色である。「神」とは神戸、「姫」とは姫路で、兵庫県の瀬戸内地方に多くの路線を持つ比較的大きなバス会社である。私は、姫路の近くの龍野(現たつの市)という田舎町で高校時代を過ごしたので、それは確かにひどく懐かしいバスであった。神姫バスは龍野=高校時代の思い出に直結する。

 私が高校を卒業して2年で父親が転勤となり、帰るべき家がなくなったこともあって、20才になって以降は、龍野を訪ねる機会がほとんどない。「山陽の小京都」と呼ばれ、『男はつらいよ』第17作の舞台ともなった城下町は、わずか4年半しか住んでいなかったにもかかわらず、私が「故郷」と認める町である。高校時代の3年間を過ごしたということも重要だが、その観光地として整備されていない自然な古めかしさは、何とも言えない落ち着きと郷愁とを催させる。

 「神姫バス」に気付くまで数分を要したが、それに気が付く前に、いわば本能的に懐かしさを感じたというのは驚きである。そして、これからも石巻の町で、時々そのバスに出会えるであろうことは、私にとってひどく心楽しいことだ。