実事求是の精神



 尖閣諸島の国有化に端を発する中国国内の民衆運動(乱暴狼藉)については、世間で多くの論評が出ている。私の目から見て、暴論というようなものもなく、それぞれに共感・納得しながら、いろいろな記事を読み流していた。いつも思うことだが、中国や韓国は地理的に近いとはいえ、中国人や韓国人というのは、日本人と本当に遠い人たちだ。日本人と近いのはタイやビルマミャンマー)の人々だと思う。

 尖閣諸島がどこの国のものかということについては、私もこれといった知識を持っていなかったので、その後少し勉強した。その結果、やはりこれらの島は日本に帰属すると思う。近海に油田があるという情報が流れ始めた1970年頃から、中国がにわかに領有権を主張し始めたとなると、「厚顔無恥」という言葉が思い浮かぶ。

 ところで、国内問題であれ国際問題であれ、中国でもめ事が起こった時に、私がいつも思うのは、延安時代の精神に立ち返って考えればいいのに、ということだ。

 現在もあるのかどうか知らないが、中国には、1990年5月に成立した「中国延安精神研究会」という組織がある(あった?)。発足時に名誉会長に推戴されたのは、中国共産党の長老で、元北京市長の彭真である。彭真は同年6月に共産党成立69周年座談会で講話を行い、延安精神の筆頭に「実事求是、不尚空談」を挙げた(『延安頌歌』新華出版社)。事実に基づいて是非を判断し、空論を語らない、ということである。これは、毛沢東が形式上の、彭真が実質的な校長を務めていた延安の中央党校(党の幹部養成学校)で、1943年に大礼堂(講堂)が完成した際、正面に掲げる扁額に毛が「実事求是」と揮毫したことに基づいているだろう。

 事実に基づいて是非を判断する。これは一見とても明快である。しかし、事実が何かというのは、時として非常に悩ましい。実際、その中国共産党にして、「大躍進運動」(1958〜1959)という、正に事実誤認の上に事実誤認を積み上げていくようなことを平気でやるようになる。確かに、「人間は、自分が見たいと思う現実しか見ない」(カエサル『内乱記』)のである。自分の目に映る現実はほとんど主観であって、客観的事実は見えていないと言ってよい。

 客観的事実を見出し、領土問題を武力以外の方法で解決しようと思えば、それは国際司法裁判所の判断を仰ぐしかないであろう。日本政府は、竹島の領有権について、韓国政府に国際司法裁判所に提訴することを働きかけているが、尖閣諸島について中国に同様の働きかけをしている話は聞かない。しかし、北方四島も含めて、全てそのように第三者の判断を仰げばよいと思う。どのような結果が出ても、「恨みっこナシ」だ。それが、現在の国際社会における紛争解決の最も合理的な形であるし、当事者には見えない「事実」を見るための方法だと思う。そして、そのような動きを起こすべきは、むしろ、自分たちの原点に「実事求是」の精神を置く中国共産党でこそあるべきだ。

 「実事求是」という精神は優れている。ただし、それを現実のものにしようという意欲と、自分自身には「事実」は見えないのだという観念がなければ、その精神はまったく生きてこない。それらの点をよく認識した上で、中国には、特に今、自分たちの原点に立ち返って欲しいものだと思う。そこから逃げ回れば、自分たちの主張に後ろめたい点があることを自ら暴露しているようなものだし、少なくとも領土を巡るもめ事は、戦争という野蛮な手段でしか永遠に解決できないことになってしまう。それはあまりにも哀しい。