文字で学べるから人・・・ではないのか?



(9月28日付学級通信より) 


本当は、「期末考査ごくろうだった」と書き始めようと思っていたが、採点していて、余りにも勉強の跡が見えないので、バカバカしくなって止めた。来週から後期になる。心機一転、せいぜい頑張ってくれたまえ。

 さて、先々週の末くらいには、今年の暑さは永久に続くのではないか、などと思っていたのに、あっという間に気温は下がり、「衣替えだ」と言われれば、確かにそんな季節だな、と思えるようになってしまった。何事も永久には続かない、それを「無常」と言う。


【文字で学べるから人・・・ではないのか?】

 9月11日、私が出張で不在だった時、自習課題として、8月15日の『天声人語』に基づくプリントをやってもらった。自習監督H先生に、私は「途中見ていなくていいですよ」と言ってあったのだが、終了間際にH先生が教室に行ったところ、内側から鍵をかけてカーテンが閉めてあったということだったので(笑)、課題の出来について期待はしていなかった。しかしながら、真面目に取り組んだかどうかとは少し違う点で、これは困ったことだと思うことがあった。

 記事の内容を自分のこととして考えて欲しかったので、最後に、「あなたは太平洋戦争からどのような教訓を得ているか?」という問題を作っておいた。これは、「あなたは太平洋戦争の歴史(←中学校で少しは勉強したはず)から何を学んだか?」という問題とイコールである。

 ところが、「生まれてません」「体験していないので分からない」といった答えがいくつもあり、ひどいのになると「生まれてないよ、馬鹿じゃねーの」と書いてあった。「生まれていない」ということは「体験していない」ということであり、「体験していない」ということは、そこから何かを学ぶなんてあり得ない、ということなのだろう。だったら、人間が歴史を学ぶ意味って何なんだろう?文字を使って、自分が生まれる前の出来事からでも教訓を得ることが出来るからこそ人間なのであって、それが出来ないのは、それこそ「馬鹿じゃねーの」である。

 おそらくこれはごく普通の日本人の意識を表しているに違いない。だからこそ、江戸や明治の大津波で数万人も死んでいるのに、教訓は伝えられず、生かされなかったわけだ。

 よく思い、あちらこちらで言って歩いているのだが、東日本大震災の最大の考えどころは、今回の津波から何が学べるかではなく、それ以前の大津波(他の事件・事故でも同じ)からなぜ教訓を生かせなかったか、なのである。やはり大切なのは、よりよい今を生きるために歴史を学ぼう(温故知新)という意識、そのために文章をきちんと読み、それによって過去の出来事をイメージして現在と重ね合わせて考えられること、なのである。学校の勉強は、正にそのためのトレーニングである。けっして疎かにするわけにはいかない。


(裏面:9月2日付『朝日新聞』より「ニュースがわからん!韓国とこじれている竹島問題って?」

平居コメント:先日、尖閣諸島について同様の記事を配ったので、こちらも勉強してもらおう。)


ブログ用の【お知らせ】

 7月26日、「水産高校便り」を書籍として9月に刊行予定と書きましたが、作業の都合で、10月下旬に延期となりました。現在2回目の校正が終わったところです。