アナログはどこへ?

(2023年12月8日「担任のお話」№28より)


 今日は太平洋戦争の開戦記念日。82年前(1941年)の今日、マレー半島・コタバルへの上陸と、ハワイの真珠湾攻撃とによって、あの無謀で悲惨な太平洋戦争が始まった。終戦記念日( 月 日←空所に適当な数字を入れよ)には、メディアでも大々的に戦争を振り返る企画が組まれるが、開戦記念日は低調だ。しかし、敗戦という追い詰められてどうしようもなくなった結末よりも、いろいろな思惑の上に積極的な決断をした開戦の方が教訓として考える価値は大きい。
 東日本大震災の教訓をどのように伝えるかということが、今でもよく話題になる。しかし、私がよく言うように、学ぶことの効率が、教える側よりも学ぶ側の主体性に関わっているとすれば、自分たちの体験によって教訓を伝えようとするよりも、過去の津波の教訓をなぜ自分たちは受け継ぎ生かすことができなかったのか考えた方がよほどいい。
 果たして諸君(私たち)は、よりよく生きるために、過去の出来事(歴史)から学ぼうとしているだろうか?過去100年で最大の事件は間違いなく戦争だ。開戦記念日はそんなことを考えるいいきっかけだ。


【全校一斉「読書会」・・・もっともっと広い世界へ!】

 昨日のLHR、「全校読書会」ということで、M1では黒柳徹子喝采は「アイ・ラヴ・ユー」』という本(ブログ用解説:ろうあ者6人が、イタリアのシチリア島で開かれた国際ろうあ者演劇フェスティバルで狂言を演じたところ、拍手ではなく、「アイ・ラヴ・ユー」を意味する手話で喝采が寄せられ感激した、というエッセイ)を読んだ。
 本を読むことは勉学の基本である。よく「本を読むことだけが勉強じゃない」と言う人がいる。それは間違いではない。しかし、「本を読まずに勉強はできない」というのも確かだ。まずは黙って本を読み、作者の言葉に素直に耳を傾ける。それが勉強の出発点だと思う。「こんな本、面白くない」と文句を言う人はいたが、誰にとっても面白い本というのは存在しないし、本が面白くないのか、本の面白さを自分が読み取れないのか、も考えどころだ。
〈諸君の感想から〉   ( )は平居コメント
・私がこの本を読んで心に残ったことは日本での公演です。なぜなら、この公演が成功したことで、イタリアでの公演に自信がつけられたと思うからです。(「自信」は大切だ。)
・「六地蔵」について、何度見ても笑ってしまうとあるが、私はあまり面白くないと感じる。しかし、狂言をこんな短い期間(6ヶ月)ではできないと分かっていても、外国で見せられるようにしたいと、そしてちゃんと逃げずに有言実行したことは、尊敬に値します。その過程で、いろんな人々の協力、助け合いがあり、素晴らしいと思いました。人生捨てたもんじゃない。(狂言を実際に見たことがなければ、面白さも想像できないだろうねぇ。仙台や石巻でも時々やるので、一度見てみるといい。私は大好き!!最も分かりやすい古典芸能だよ。)
・ろうあ者だった人たちが、手話や口話の発達でコミュニケーションを取り、より人らしく感情を伝えられるようになったのは、本当にすごいと思った。そのおかげで20pのような感激の仕方があるんだと改めて知ることができた。
・最後のスタンディングオベーションで、拍手だけではなく、それ以外の様々な方法で伝えることができるということが分かりました。
・言語がわかんなかったり、耳が聞こえない人でも、行動しようとしたり、何かを伝えようとすることが重要だと思いました。(そうだね。)

(図書委員の諸君、ご苦労様。)


裏面)11月28日付け朝日新聞、耕論「アナログはどこへ」に掲載された3氏の意見から、飯間浩明氏、藤原麻里菜氏のものを貼り付け。
平居コメント)春以来、私は、「私が言っていることも含めて全てを疑え」と言っている。世の中には「デジタル」が氾濫し、デジタル化の推進が「当たり前」で「正しい」かのように言われている。このように、一見疑う余地がないように見えるものこそ、実は疑うことが必要だ。本当にデジタルっていいものなのかな?アナログには価値がないのかな?その場合の「価値」って何だろう?効率、便利ということがよく言われるけど、効率とか便利って、そもそも何なんだろう?効率化できるものとできないものってあるんじゃないのかな?効率以外のメリットについても、同じような疑問は成り立つのではないのかな?・・・・そんな疑問の先に、本当に大切なものは見えてくる。


*これら以外の記事は省略。