「決める」ことの難しさ、大切さ

(2023年8月23日「担任のお話№16」より②)


【「決める」ことの難しさ、大切さ・・・三者面談より①】

 もはや1ヶ月以上前のことになるが、ほぼ予定通り、全員と三者面談をすることができた。日頃聞くことのできない話も聞けたし、私としては得るもののある面談だった。内容はもちろん人によって違うが、少し気になったことで、全体として共有し、今後に生かせそうなことについて簡単に触れておく。今日はその第1回。
 入学以来、夏休みまでに、修学旅行、体育大会メンバー、クラスTシャツ、石工祭への参加などなど、クラス内で合意を取ることが必要な場面がいくつかあった。修学旅行を別にすると、私は基本的に「全員の意思確認をきちんとしなさいよ」とだけ言って、あれこれ口を挟むことはしなかった。そして、おそらくちゃんと合意はできたのだろう、と思っていた。ところが、必ずしもそうではないらしく、三者面談の場で、何人かから不満や当惑を聞いた(言うタイミングが違うだろう、とは少し思った)。
 40人の合意を得るのは面倒だ。しかし、それをしないと、不満が残って人間関係がギクシャクしたり、必要な時に協力してもらえないといった問題が発生して、かえ面倒になる場合が少なくない。大切なのは、
・係=提案者が提案内容と理由をはっきりと説明すること
・それ以外の諸君は、係任せにせず、提案に耳を傾け、よりよい決定にするためにどうしたらいいか考えること
だ。石工祭まで51日。これから「決める」機会増えるよ。


裏面:全国3紙+河北新報の8月15日のコラムを貼り付け。
平居コメント:8月15日は終戦記念日。戦争には人間の愚かさが凝縮されている。だから、日本人がなぜ無謀な戦争を始めてしまったのか考え続けることはとても大切だ。2回の原爆忌終戦記念日がある8月は、そのためのよい機会だ。東日本大震災後、津波の体験をどう伝えるかということがたびたび話題になる。しかし、巨大津波による被害は、東日本大震災が初めてではなかった。だとすれば、本当に大切なのは、自分たちの体験をどう伝えるかではなく、私たちはなぜ過去の津波から教訓を受け継げなかったのかということについての分析と反省であるべきなのに、津波体験の継承を訴える人たちが、そんなことを真剣に考えているようには見えない。おそらく、自分の体験を語るよりも、過去から学ぶことの方が面倒くさく、大変な作業だからだ。目先の楽と便利ばかり追い求めて、謙虚に辛抱強く過去を学ぼうとしなければ、戦争は再び起きると思うよ、私は。