トリチウム放出

 福島第1原発から、トリチウムを含む処理水の海洋放出が始まった。
 風評被害対策ということが、事前にずいぶん言われたが、風評というのは極めて感情的なものであって、科学的、論理的に説明すれば発生しないというものではあるまい、と私は思っている。また、食べるものそのものに困っているならともかく、他に食べるものがある時に、わざわざ福島やその周辺で捕れた海産物を食べる必要がない、という感覚は理解できる。
 一方、中国の日本産水産物の全面禁輸という措置は、全く理屈に合わないと感じる。
 私は、今回の日本のやり方であれば絶対に害がない、とは思わない。確かに、説明を聞いていれば、限りなく安全であるようには思う。話が分かりやすかった昨日の読売新聞によれば、今回放出される処理水と同じトリチウム濃度の水を、毎日2リットルずつ飲み続けても、1年間で体内に入る放射性物質の量は自然界からの被曝の半分にしかならないそうである。しかしそれでも、本当のところ、人体に影響がないかどうかは分からない。それは、現在「安全」とされている様々な化学物質が、もしかするとアレルギーやアトピー増加の原因となっているかも知れない、というのと同じことだ。「安全」というのは、現在の知見の範囲で、因果関係が立証できる範囲での「安全」に過ぎず、「絶対に」というのはない。
 では、なぜ私が中国の禁輸措置を理屈に合わないと考えるかと言うと、まず第一に、日本の全水産物を対象とするからである。私の貧弱な脳で考えれば、福島沖に放出された処理水は、海流の影響で北に拡散することはあっても、南に流れて行くことはない、もしくは非常に少ない。仮に南に流れることがあるとしても、放出を始めてわずか1日、2日で、有明海やら玄界灘富山湾水産物トリチウムが蓄積されるなどということがあるわけはない。それでも中国は、それらの海域で捕れる水産物まで含めて、全てを即座に禁輸とした。
 第二に、中国も含めて、世界の多くの国で、福島をはるかに上回る量のトリチウムを処分しているのに、なぜ福島だけが問題になるのか、ということである。再び昨日の読売新聞によれば、例えば福島原発から今後1年間に海洋放出されるトリチウムは22兆ベクレル分であるのに対して、2021年の実績でフランスのラ・アーク再処理施設からはなんと1京(1兆×1万)ベクレル、中国でも陽江原発だけで112兆ベクレル分のトリチウムが処分されたという。しかも、それらは1ヶ所の施設から出る量であって、他の施設からも多くのトリチウムが放出されているらしい。残念ながら、記事には、それらの処分方法が今回の福島と同じなのかどうか、国内外でそのことがどう評価されているのかということが書かれていない。だが、福島があえてそれらよりも悪い方法を使うことはあり得ないし、福島の問題が発生するまで私がそれを知らなかったということは、何ら社会問題にはなっていないということだろう。このアンバランスは不可解だ。なぜ日本の処理水だけが問題になるのか、なぜ政府は他国のトリチウム処理に言及しないのか。どうも私には分からない。
 政府は、漁業者の合意がなければ、絶対に海洋放出をしないと言い続けていた。ところが、今回、合意を得ないままに見切り発車をした。次の手として、風評被害に対しては政府が責任を持つ、と言い出した。「責任を持つ」とは、どうせ結局のところ、漁業の損害に対する金銭的保証しかないだろう。何事においても、解決方法として日本の政府は「金」しか考えることができないのである。
 私は、今回の放出を、「仕方がない」と考えている。それは、原子炉から汚染水が出ないようにもできなければ、これ以上溜め続けるわけにもいかないからだ。だとしたら、どうにかして自然界に放出するしかないではないか。今回のやり方であれば、おそらく悪影響はないだろうが、そのリスクをゼロにもできない。それでも、不安だというなら、処理水の放出を停止させるのではなく、原発というのはそういう危険を含むものなのだという認識を新たにし、みんなで競って節電に努め、原発を持たなくてもいいような社会作りへ向けて、大々的に運動を進めるしかないのだ。