人の心をよく知る政治家



 特定秘密保護法衆議院を通過し、いよいよ成立しそうな勢いだ。採決の前日に福島で行われた公聴会も、委員会審議も、「やりましたよ」と言うための手続きに過ぎなかった。私なんかは、今でも守秘義務を負っているのに、なぜ新しく厳めしい新法が必要なのかさえよく分からないのだが、だからこそ、あえて制定することには重大(=危険)な意味があることは容易に察せられる。

 思えば、破廉恥な政権である。「破廉恥」、正にこれ以外の表現が見当たらない。原発事故で苦しんでいる人が国内にたくさんいる上、事故を起こした原発をどう処理するのか、各地の原発を再稼働するかどうか、といった問題が尾を引く中、早い時期から外国への原発売り込みには熱心であった。憲法改正が難しいと悟るや、集団的自衛権を解釈変更によって認めてしまうことを狙って、内閣法制局の長官を更迭するという信じられないような手を打った。そして一昨日は特定秘密保護法強行採決、昨日は、日本版NSCの創設を可決させた。特定秘密保護法は、国会が会期末を迎えるまでのあと1週間で、参議院を通過させるつもりらしいから驚く。まさに「がむしゃら」だ。歴史の転換点とは正にこのような時を言うのであろう。

 もちろん、今の政府がこれだけ無理のあることを矢継ぎ早に通せるのは、数の論理ではあるのだけれど、私は、それよりもむしろ、経済政策で成功(=期待を持たせる)すれば、一方でどんなに破廉恥なことをしても、国民は政権を支持するという法則を、しっかりわきまえて動いている点が重要だと思う。あえて悪い言葉を使えば、国民のバカさ加減をよく知り、その心理をよく把握して、着々と自分たちの目指すものを手に入れつつあるわけだ。人間の心をよく知る人たち、と言わざるを得ない。

 経済政策だって、消費すべきものがない所であえて経済成長を実現させようとし、今のように無理のあることをやっていれば、私は近い将来間違いなく行き詰まると思うけれど、経済が行き詰まることによって国民が夢から覚めた時には、もう遅い。しっかりと周りを固められ、言いたいことを言うことも、動きたいように動くこともできなくなっている。

 もっとも、現政権がそういう世の中を作って、自分たちの都合のよい社会の実現を喜んだとして、最終的には自分たちの墓穴を掘ることにもなるはずなのだけれど、そんな先のことはどうでもいいのだろう。高学歴の政治家も、目前の利益と快楽以外に興味のない大衆も、不思議と根は同じだ。私はそこにDNAにインプットされた、滅亡へのプログラムを見る思いがする。

 ところで、以前書いたことがあるが、私が人生において最も繰り返して読んだ愛読書は『新約聖書』である。これほど、人間という愚かな存在をよく描き、生きるべき道筋を示した本などあるものではない。人生の様々な場面で、その時その時、心に響く場面は変化するが、常にそのような場面が存在する。

 最近、私の頭に繰り返し浮かんでくるのは、「悪人に手向かうな。もし誰かがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬も向けてやりなさい。下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい」という一節だが、それとの関係で、次の部分に表れた人間観は重要だ。


 一人の青年がイエスに近寄り、「永遠の生命」を得るための方法を尋ねる。イエスは「いましめを守りなさい」と答えるが、青年はいましめをみんな守っているという。イエスは続けて言った。

「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、私に従って来なさい」 福音書作者によれば、「この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。」(マタイ伝)


 せっかく「永遠の生命」を得る方法を教えてもらいながら、それをどうしても実行できず、「悲しみながら立ち去った」青年の姿は深刻である。

 欲があるから持とうとするのではない、持ってしまったから欲が出るのだ。豊かな日本は、豊かであるが故に欲深いのである。真偽と損得は常に矛盾する。だとすれば、自分たちの利益を少しでも維持し、増やそうとして外国と駆け引きをする所に、正義の存在しよう訳がない。

 良くも悪くも、たとえ全有権者の中で投票した人がわずかであり、それでも低い投票率のおかげで圧倒的な多数を占めているに過ぎないとしても、自民党は日本国民の姿をよく反映していると思う。「破廉恥」という言葉は、私たち日本人が全体として引き受けなければならない言葉だ。人が正しく生きるということは、何と難しいことであろうか。