川端純四郎『バッハ万華鏡』



 今年の5月23日、仙台在住の宗教学者川端純四郎氏が亡くなった。私は新聞でそれを知ったのだが、この1週間ほどで、その遺稿とも言うべき『バッハ万華鏡』(7月25日刊、日本キリスト教団出版局)という本を読んだので、今更ながら少し触れておこうと思う。

 私がこの方の名前を知ったのは、大学に入って間もない頃だった。中学校時代の恩師A先生から、「東北学院大学にいる川端純四郎という先生は、人格者である上、とても頭の切れるすごい人だ。学問をするなら、あのような人に就くのがよい」というようなことを言われた。私は宗教学を学ぼうと思っていたわけでもないし、入った大学も学院大ではなかったので、そう言われても困るなぁ、と少し思ったが、A先生がそのように言うからにはよほどすごい人なのだろうと、名前だけは記憶に残った。

 当時の私は恐いもの知らずだったので、研究室を直接訪ねて議論をふっかけるなどというのは朝飯前だったはずだが、よその大学ということもあり、自分自身の多忙もあって、そのまま時間ばかりが過ぎた。

 数年後、仙台宗教音楽合唱団のメンバーとして教会音楽と関わるようになったことで、初めて川端先生を直接知った。なにしろこの先生は、大学の宗教学の先生であると同時に、仙台北教会のオルガニストである。教会音楽には深い学識をお持ちだった。その後、何度か、バッハの音楽についてのレクチャーを聞く機会を持つことができた。

 憲法や民主主義(言論・表現の自由)を守るという政治的な場でも、その姿をよく見かけた。いつも穏やかに笑みを絶やさない人なのに、先生が優しいのは弱者と正義に立つ人に対してであって、個人的な利益のために社会をねじ曲げようとする勢力に対しては、毅然として強固な意志を示すようだった。私は、結局、個人的に親しく教えを受けることはなかったけれど、そういう姿をいつも少し離れた所から敬意を持って見つめていた。

 さて、『バッハ万華鏡』は、バッハの伝記についての考証であるが、「ヨハネ受難曲」についての次のような記述が、この本の性格をよく表している。

 「これまでは、(「ヨハネ受難曲」の)四つの稿の変遷については、音楽学的な検討しか行われてきませんでした。しかし「受難曲」は教会の重要な典礼音楽ですから、その演奏については教会と市議会当局の関与が避けられないことは当然のことです。特に楽長型カントールを目指したバッハと教師型カントールを要求する市議会との対立が、改訂の経過に影響を与えなかったとは考えられません。四つの稿の変遷の経過を神学的・教会史的に検討してみる必要があるのではないでしょうか。」

 音楽そのものではなく、バッハが生きた時代状況(特にキリスト教各会派の勢力関係や、それぞれの会派の考え方、バッハやバッハ死後の妻の金銭収受など)についての考察が大半を占めている。それによってバッハの音楽がより深く豊かに鳴り響くというものではないが、人間が常に時代状況の制約の中でしか生きられないことを思うと、重要で興味深い問題であると思いながら歴史書として読んだ。

 巻末には、奥様による「あとがき」が付けられていて、死の間際の半年間の先生の様子が描かれている。それによれば、川端先生は、バッハの「ロ短調ミサ曲」がバッハの生前に演奏されたことがあったかという古くて新しい問題について、新たな史料とともに執筆の構想を持ちながら、果たせないままに亡くなったそうである。残念と言うほかない。合掌