カール・リヒターについて(その1)



 6月7日に、鈴木雅明指揮によるJ・S・バッハのロ短調ミサ曲を聴きに行き、ひたすら楽しかった、だけどこれは「ミサ曲」としてなんだか変だぞ?という話を書いた。

 帰宅後、ではその対極にある強い宗教性を感じさせる演奏とはどのようなものだろう?と考えて、頭に浮かんだのは、やはりカール・リヒター指揮、ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団によるものだった。というわけで、その後、リヒター盤(1962年録音)でロ短調ミサ曲を聴いたところ、久しぶりで立て続けにリヒターの演奏を聴いてみたくなり、マタイ受難曲ヨハネ受難曲という最も有名な大曲から、彼の独奏によるバッハのオルガン曲まで、車の中でいろいろと聴いていた(受難曲を車の中で聴く様子をバッハが見たりしたら、鼻血を流したに違いない。変な時代である)。なにしろ長い曲が多いので、リヒターの盤を何でも持っているわけでもなく、繰り返して聴いたわけでもないのに、あっという間に2ヶ月近くが経ってしまった。その間に、以前から気になっていた野中裕『カール・リヒター論』(春秋社、2010年)を読んだ。

 宗教的厳しさというか、峻厳なる精神世界を表す演奏として、リヒターのバッハに勝るものはない。隅から隅まで隙の無い、緊張に満ちた、背筋の伸びるバッハである。しかし、なぜリヒターにこのような厳しいバッハ演奏が可能だったかというのはよく分からない。「なぜ可能だったか」というのは、楽譜からどのような音楽を引き出すか、ということと、楽譜から引き出した音楽を、多くの他人を使ってどのように音にするか、という二つの点についてである。

 ロ短調ミサ曲は、DVDも持っている。昔買いはしたものの、動きと音が上手く合っていないし、合唱曲以外では指揮者が一切写っておらず、しかも録画会場となったアンマーゼーのクロスター教会の天井画やその他の装飾が写っている時間(=演奏者が写っていない時間)がひどく長いという変な映像なので、1〜2度しか見たことがなかったが、これも気になって久しぶりで見た。

 リヒターの指揮は、まったく無表情に、折り目正しく行われる。演奏にみなぎる熱気とか緊張とは無縁の冷たい無表情で、指揮棒の動きにも激情とか恍惚といったものは一切ない。ひどく抑制された、かなり機械的といってもよい動きに過ぎない。つまり、映像を見れば、上記の謎はますます深まる。せいぜい、オルガンの使い方(音質と音量の選択)が非常に派手で、通奏低音を担う一楽器として全体を支えて引っ張りはするものの、通常は隠し味風に機能しているオルガンが非常によく聞こえ、それが教会らしい荘厳さを生み出していることが理解できる程度だ(マタイ受難曲に関して、名演として名高い1958年の録音よりも、私が1969年の東京文化会館ライブを好むのは、このオルガンの響きがより一層曲の雰囲気を支配していて心地よいからだ)。しかし、それは、一般的に考えれば「邪道」である上、かなり単純な外形的なことであり、発想としては独自のものであったとしても、演奏として実現させるのは容易なはずで、誰にでも真似することが出来るものである。そんなことだけで、リヒターの演奏の持つ峻厳極まりない響きが生み出されるわけではないだろう。

 『カール・リヒター論』を読んでいて、非常に印象的なのは、リヒターがメンバーに絶対の忠実を求める意志の極端なまでの強さである。オーケストラも合唱団も、リヒターの意志を実現する道具としてのみ価値を持つ。あの「ミュンヘン・バッハ合唱団」がアマチュアであることはつとに有名だが、リヒターが自ら人を集め、週に2回の練習を確保し、全ての曲を暗譜し(上のDVDもそうだが、楽譜を見ながら歌っている写真や映像は少なくない。しかし、すべてを暗譜で歌えるようになっていた=リヒターが要求していた、ということも多く伝えられる)、終始リヒターを見ながら歌うことを求めたことについて、野中氏は「団員に求められたことはただひとつ、いかにリヒターに奉仕できるか、ということだった」と書く。

 だが、いくら絶対の忠誠を求めたとしても、相手は人間である。よほど大きな利益(経済的なものだけでなく栄誉も)か、深い人間愛や人間性の魅力か、音楽の理解についての圧倒的な説得力といったものがなければ、命令する人間の言うことを完璧に聞いて「奉仕」しようという気にはならないはずである。人間的には相当な変わり者であったらしいリヒターの何が、多忙な一流のオーケストラプレイヤーやソリストミュンヘン・バッハ管弦楽団という臨時オーケストラに駆け付けさせ、アマチュアを毎週2回もの練習と、3時間に及ぶ大曲の暗譜を始めとする厳しい要求に応えさせたのか?やはり謎は深まるばかりのようだ。(続く)