カール・リヒターについて(その2)



 本というのは、書いてあることの問題点を指摘するのは簡単だが、書いていないことについて、それが書かれていないことに気付き、その意味を考えるのは容易でない。私も、『カール・リヒター論』を一読した時には、高校教諭がこれだけの本を書けることについての驚きと感心だけがあった。しかし、再読しながらふと気が付いて愕然としたのは、300ページ近い本文の中に、ただの一度も、リヒターの信仰についての話がないことだ。せいぜい、引用の中に、強い宗教性を持つ教会カンタータを、言葉が通じない日本で演奏することを渋った、という話が出てくるのが、わずかに信仰の存在を感じさせる程度である。ただ、これとても、信仰心の表れだと言い切れるわけではない。同時に「精神性」ということについても、それを繰り返し述べながら、一体どのようなものなのか、リヒターのどのような思想や信条を表しているのか、ということについては何も語られないように見える。

 それは『カール・リヒター論』の問題なのか、実際、リヒターに強い信仰心がなかったのか・・・?しかし、何しろバッハの宗教曲に特に優れた演奏を残したリヒターである。もしも信仰心があったとしたら、それをうっかり忘れて論じることの方が難しいように思われる。まして、父親はプロテスタント教会の牧師で、リヒターは幼少期にドレスデンの聖十字架合唱団に所属していたのである。

 リヒターが生前、どれだけ書いたり語ったりしたのかは分からない。マタイ受難曲東京文化会館ライブの解説書に収録された故吉田秀和氏の「カール・リヒターミュンヘン・バッハの残したもの」という文章(初出は『朝日新聞』夕刊、1969年5月16日)によれば、リヒターは「音楽の虫」のような人だったらしいので、言葉で自分を表現することはせず、全ては音楽を通して語ったのではないか、と思う。野中氏がリヒターの信仰心に触れなかったというのは、おそらく、リヒターの信仰を知ることから彼の音楽を見るのではなく、彼の音楽から信仰の性質を考えていくしかない、と考えたからだろう。しかし実際、リヒターの音楽が強い宗教性・高い精神性を持つと言われるほど、彼が一般の人からかけ離れた強い信仰心を持っていたようには見えない。リヒターの信仰心は、ドイツ人としてごく一般的レベル以上のものではなかったのではないか?ということは、私たちが、リヒターの演奏に強い宗教性を感じるといった場合、リヒターに信仰心があるからそれが音楽に滲み出るのではなく、まったく別の理由で生まれた独特の雰囲気を、私たちが勝手に「宗教的だ」と感じているに過ぎないことになる。

 それは、音楽解釈に関するリヒターの信念以外に考えられない。この場合の「音楽解釈」とは、音楽に作曲家がどのような思想を託したかを読み取るというよりは、曲の構造把握やアーティキュレーション、テンポの設定といったかなり物理的な問題である。信念が強ければ、それが自分自身の能力や考えに対してであっても、神に対してであっても、第三者には同じように感じられるということなのだろう。これはとても面白い発見である。

 と言うのも、これは、キリスト教を信仰していない人にとってもバッハの音楽が感動的である、というのと同じことだからだ。行き着くところは、音楽というものの極めて高い「抽象性」である。抽象的であるが故に、私たちは各自の生活と思想に立って、自分なりの何かを音楽の中に読み込んでいくことが可能となるのだ。

 ともかく、リヒターの峻厳な格調高い演奏は、一つの古典(野中氏によれば「規範」)として、永く愛聴されていくであろう。上のようなことを考えた後でなお、私にはそのように思われる。(終わり)


(余談1)1981年5月8日に、仙台でミュンヘン・バッハ管弦楽団の演奏を聴いた。もともと、リヒターが指揮することになっていたのだが、2月15日に急逝したため、指揮は弟子のギュンター・イェーナに変わった。ブランデンブルグ協奏曲3番と4番、管弦楽組曲2番と3番というお子様向けプログラムだったが、ブランデンブルグ協奏曲第3番で、ミュンヘン・バッハ管弦楽団の弦楽器の響きの深さには鳥肌が立った。このオーケストラは、その後、ハンス・マルティン・シュナイトが率いて2001年まで活動していたようだが、その後どうなったかは分からない。

(余談2)必ずしもリヒターの問題ではないが、礒山雅『マタイ受難曲』(東京書籍、1994年)と総譜を手にマタイ受難曲を聴くのは、たいへん楽しい、いや、感動的な作業である。研究書というのは、物事を複雑に小難しくするのではなく、分かりやすく豊かにするためのものなのだ、ということを強く感じる。