「丁寧」を乱雑に

 日本維新の会の代表・馬場伸幸氏が、18日の記者会見で「立憲をたたきつぶす必要がある」と発言したことが話題となっている。なぜ「たたきつぶす」必要があるのか、私は知らない。この方は、昨年7月に共産党についても、「なくなった方がいい政党だ」と発言して物議を醸した方である。こういう人が代表をしている政党って何なんだろう?と思う。少なくとも、民主主義というものについて真面目に考え、正しく理解しているとは思えない。めちゃくちゃだ。目指すところは、自民と維新の二大政党制のようだが、なるほど、なんだかアメリカの共和党に似てきたような気がする。
 人間関係を考えてみよう。「A君なんか死んだ方がいいですね」「A君なんかぶっ殺してやる」というのが問題発言であることは容易に分かるはずだ。A君の命を軽視する根拠は何か?あんたは何者だ?という話になるだろう。では、組織ならいいのか?いやいや、そういうものではないだろう。民主主義国家において、政党の是非は有権者が判断すべきものであって、特定の党派が「なくなれ」だの「ぶっつぶす」だの言っていい問題ではない。私だったら、代表者がそんなことを堂々と言い、内部批判も出て来ない政党こそ「なくなればいい」と思う。
 話は変わる。
 新学期が始まって2週間が過ぎた。私は毎年、年度始めには2時間もかけてオリエンテーションを行う。私が何者かという話から始まって、勉強とは何のためにするのか、どのようにするのか、というような話を、シートに書き込みをさせながらするのである。年度の始めだからというのではなく、生徒にとってさほどつまらない話ではないらしく、ほとんどの生徒が居眠りもせず、笑ったり頷いたりしながら聞いてくれる。
 最後の方で、勉強する上で大切なこととして、次のようなことを話す。(( )は書き込みさせる部分。)

① どんなことにも(誠実)(丁寧)。
② 授業中は(平居)と(対話)をする。
③ 作者や平居の言っていることを常に(疑う)。

 ところが、である。この後ろに、生徒の自己紹介と国語の勉強に関する抱負、要望、質問を書くスペースがあり、そこを書き終えた頃にシートを回収するのであるが、クラスの2~3割の生徒のシートは、「(誠実)(丁寧)」の部分も含めて、ぐちゃぐちゃの字で書かれているのである。
 「分かる」というのは難しいものだな、と思う。私が彼らに「誠実・丁寧というのは、何をする時でもとても大切なことですよ。特に、高卒後すぐに職場に入る皆さんは、誠実・丁寧でなければ仕事になりませんからね」と話し(実際にはオマケが入って説明はもっと長い)、「分かったか?」と尋ねると、彼らは頷きながら「分かりました」と答える。それでいて、字はぐちゃぐちゃだ。つまり、「丁寧」と書きながら、実際のシートはまったく丁寧ではない。ははぁ、「分かりました」と答えることと、実際に「分かっている」は別なのだな、と分かる。頭で分かっていても、行動は感情によって支配されていて、頭とはまったく別次元なのだ。いくら平易な言葉で説明しても、そしてその言葉の言葉としての意味が理解できても、それが行動として実現するようにすることは難しいのである。
 人間の経済活動によって大量の二酸化炭素が放出され、温暖化が起きている、という理屈は分かる。易しく説明すれば、私たちの日常生活が温暖化を生んでいるのだということも分かる。しかし、それらは全て頭で分かるというだけなのだ。頭で分かっても、感情として自家用車もエアコンも手放したくないとなれば、行動はほとんど無意識的に感情の方に従うのだ。プーチンやネタニヤフも、「人殺しはよくない」という言葉を頭では理解し、まったく別の行動を取るということなのかもしれない。生徒の乱雑な「丁寧」という書き込みからは、そんなことが見えてくる。
 言葉によって理解し合うこと、それが行動レベルで実現するようにすることは、実はとてつもなく難しいことなのかもしれない。