白か黒か分からないのは黒である



 大飯や敦賀原発の地下に活断層があるとかないとかもめている。聞いていてとても不思議な気分になる。

 なぜ、原発の地下の活断層が問題になっているかと言えば、言うまでもなく、それが動いた時に原発は致命的なダメージを受け、取り返しの付かない大事故となる可能性があるからである。だとすれば、専門家たちが「大丈夫(白)」という結論で一致できない場合は、すべて黒と考えるしかない。つまり、白か黒かもめるのは「黒」だということなのである。私には、それが常識的な考え方に思われる。

 にもかかわらず、なぜもめ続けているのだろうか?それは、なんとかして「白」にしたいという勢力が強いからに違いない。

 聞けば、現行の原発耐震設計審査指針は12〜13万年前以降に活動した断層を活断層と定義しているが、国の地震調査研究推進本部が2010年にまとめた報告書では、約40万年前以降に活動した断層を活断層としていたという。そこに定義の違いがあるのはそもそも変な話で、耐震設計審査指針は、原発を作りやすくするために故意に緩やかな基準を設定したことが見え見えである。今回ようやく40万年の線で判断することにしたらしいのは、福島が大きな犠牲を払った結果である。言い換えれば、二枚舌的な国の基準を一つにするためには、福島がこれだけ大きな犠牲を支払わねばならなかった、ということである。

 46億年とかいう地球の歴史に比べれば一瞬には違いないが、それでも40万年というのは、私などの感覚では、想像すらできないほどの長い時間である。向こう10年や20年、いや50年の間にその断層が動く可能性は極めて低いだろう。その可能性に怯えなければならない原発原子力)というのは、恐ろしいものである。

 以前(昨年6月21日)書いたとおり、私は段階的原発廃止論者である。もともと(震災以前から)原発廃止派なので、本当はすぐにでも廃止すべきだと思うのだが、50年かけて国策として原発依存の構造を作ってきた所へ、即刻廃止は無理が大きい、最長50年かけて廃止していくしかない、というのが私の考えだ。もちろん、それより早く廃止することが可能なら、それに越したことはない。原発下の断層が活断層だという話になった時に、即刻稼働を停止できる程度であれば、「活断層の可能性がある」で停止すればよい。活断層だということになっても停止できないのなら、無理に「活断層でない」などという結論をこじつけず、危険を承知で運を天に任せ、その断層が大きく動かないことを祈りながら、一刻も早く停止できるように努力しつつ運転するしかない。そのどちらかであろう。