白か黒か分からないのは黒である(続)



 相変わらず石巻は快適な夏が続いている。夏の間中、我が家からぼやっと白く見えていた海が、昨日から真っ青に変わった。それを見ながら、湿度が70%未満になったということだな、と思い、確認してみると、確かに昨日の湿度は63%だった。最高気温が30度に達したらしいが、本当にさわやかで、日が落ちるとすーっと涼しくなる。一方、西日本では相変わらずの豪雨だ。

 今日の『読売新聞』に、今年の日本の局地豪雨が、昨年の1.5倍であったという記事が載った。同紙は6月9日にも、1時間当たり降水量80ミリ以上の雨が降った回数が、10年ごとの平均で、この10年間は30年前の1.4倍となっていることを伝えている。

 一昨日の『河北新報』には、気候変動に関する政府パネル(IPCC)の第5次報告書で、人間の活動が原因で地球温暖化が起きている可能性は95%以上、今世紀末には最大で気温が4.8度上昇し、海面水位は81センチ高くなるとの見通しを発表したという記事が出た。四万十市の41度を始めとして、気温と降水量に関する「観測史上最高」という言葉を、今年だけでいったい何回耳にしただろうか?

 気候変動は、地球の歴史の中でも、幾度となく繰り返されてきたことで、その原因が何かを特定することは非常に難しいのだけれど、最近の気象に関する異常さが人間の営為に原因しているかも知れない、しかも、その異常さが人類の生存に関わってくるとなれば、はっきりと「人間の営為とは関係がない」と言い切れない限りは、「関係がある」と考えるべきであろう。いつぞや、原発近くの断層が活断層かそうでないか、という問題に関して書いたとおり(昨年12月3日 )、こと生存に関わる深刻重大な問題については、「白か黒か分からないのは黒」と考えなければならないのである。まして、公式な報告においてさえ、人間の活動が原因となっている可能性が95%以上だという。もはや偶然ではあり得ないし、迷っていてよい状況ではない。

 非常に暑い、または寒いといっても、1ヶ月の平均で平年と1度か2度違うだけ、というのが普通である。だから、地球全体で平均が4.8度上がるというのは、正に天文学的数字のレベルだ。同時に、気温が上がるということは、単に「暑くなる」とか「海面が上昇する」ということだけでなく、あらゆる気象現象の激烈化と植生・生態系の変化をもたらす。今でさえ、ゲリラ豪雨や竜巻などの発生は明らかに増えているのに、それらはまだまだ凶暴化して行くだろう。そしてそれは、食糧事情にも大きなダメージを与える。

 先日、教室で某生徒と以下のような会話をした。

「先生、宮水にもエアコン付けて下さいよ。」

「アホか?この石巻でそんなことしてどうする。」

「だって、暑いんすよ。」

「暑いからってすぐエアコン、そんなことやってますます暑い世の中作ってるんじゃないか。温暖化でこれから大変な世の中になるよ。」

「大丈夫っすよ。俺が生きているうちにはそんなことなんないから・・・」

ここには、今、人々が温暖化対策に本気になれない理由が、よく表れている。今現在の利益(便利さ快適さを含む)への誘惑であり、サボっても自分は大丈夫(関係ない)という意識だ。私は続けて、次のようなことを言った。

「えっ?私ならともかく、あんたなんか人生あと60年くらいはあるんだから、本当にそんなこと言ってられるのかな?自然の世界でも人間の世界でも、変化は少しずつ直線的に起こったりしない。変わらない時はなかなか変わらないけど、変わる時はあっという間に変わる。20年くらいあれば、いや5年でも、何が起こるかなんて想像つかないよ。」

 東日本大震災における津波の教訓、ということがよく言われる。「東日本大震災の教訓」に冷たい私も、教訓を否定している訳ではない。その教訓にばかり目を奪われて、他の教訓に目が行かないことを批判しているだけである。実は「東日本大震災の教訓」には、いろいろなものが含まれているのに、津波から逃げることだけが取り上げられることについても批判的だ。では、他の教訓とは何か?もちろん原発の危険性などということはすぐに思い浮かぶが、私が重要だと思っているのは、「想定外は起こり得る」ということである。つまり、私たちは「想定外が起こることは想定内である」ということを学ばなければならなかったのだ。

 IPCCの見解は、学者による「想定」を示したものだ。ということは、今後、温暖化の進行はその想定よりも穏やかである可能性も、激しい可能性もある。そして「白か黒か分からないのは黒」である。これらのことを肝に銘じて、経済を半減させるくらいの覚悟でことに当たらなければ、今世紀末までに、人類は姿を消しかねない。