絶体絶命・・・IPCC統合報告書

 IPCC(国連の気候変動に関する政府間パネル)が20日に公表した統合報告書は、予想していたこととは言え、非常に深刻な、正に地球の危機といった状況を訴えていた。朝日だけは、第1面の他に、大きく特集記事を組んでいたが、その他の新聞では扱いが小さかった。テレビはあまり見ていないが、報道されなかったのではないか?1日分の新聞や番組全部をこの問題に当ててもいいほど、その内容は深刻だ。
 2025年までに新しい温室効果ガス削減目標を提出することになるが、朝日はそのことについて、「正直、まだ何も手が付いていない」という環境省幹部の言葉を引く。これが日本もしくは環境省幹部の背後には政治家がおり、その政治家の背後には国民がいる。
 人々は相も変わらず「便利」と「豊か」を追い求め、「不都合なものは見ようとしない」という人間の性に従って、地球環境が危機的状況にあることを直視せず、当然ながら、自分の生活こそが地球環境の危機を生み出しているという自覚もない。再生可能エネルギーなどという幻の存在を信じ、環境問題は政治家と研究者・技術者が解決してくれるとでも思っているようだ。そして愚かな「戦争」という大量消費。人類の世の中は終末へ向けて大暴走しているように見える。
 9年前(2014年9月2日)に、以下のような私の作文が河北新報に載った。残念ながら(本当に残念ながら)、その内容はまったく古びていない(つまり、この間、状況は全く改善されていない)ので、あえて再掲する。

 

「 広島で大規模な土砂災害が起こり、多くの犠牲者、行方不明者が出た。なんとも胸が痛む。
 思えば、今年になってからだけでも「観測を始めてから最多(最高)」とか「記録的な」という言葉を、いったい何度耳にしたことだろうか。「7月としては過去最強クラス」と言われた台風の襲来もあった。これらの異常な自然現象がまったくの偶然であるとはもはや思えない。どう考えても温暖化、特に海水温の上昇が原因となっているに違いない。それが年々激烈な気象現象を引き起こし、大きな被害をもたらすようになっている。
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 今後も状況が急速に悪化していくであろうことは、あらゆる提言・報告が示している。昨年9月に発表されたIPCC(気候変動に関する政府パネル)の第5次評価報告書では、人間の活動が原因で地球温暖化が起きている可能性は95%以上であり、今世紀末には最大で気温が4.8度上昇し、海面水位は82センチ高くなるとの見通しが示された。また、今年6月に環境省が発表した予測では、地球温暖化が今のペースで進んだ場合、真夏日が今世紀末に全国平均で52.6日増えるという。
 昨年の西日本を襲った猛暑は記憶に新しい。国内観測史上最高の41.0度を記録したあの暑い夏でさえ、西日本の平均気温は平年を1.2度上回っただけであることを思うと、4.8度の上昇というのは想像を絶する過酷な気温変化だ。IPCCは、温暖化を放置した場合、「多くの生き物が逃げ切れない」と言う。
 私が不思議なのは、これだけ温暖化による異常気象が増え、それが人間の経済活動によると高い確率で分かっていても、経済を犠牲にしてでも生きていける環境を取り戻そうという話にならないことだ。強盗にピストルを突き付けられた人は「何でもやるから命だけは助けてくれ」と言うだろう。環境と人間との関係は今その段階にある。痛みを伴わずに環境問題が克服できるとは思えない。飛行機や自動車を野放しにし、多くのものを宅配便で取り寄せ、使い捨て容器が身の回りにあふれる。それが経済発展だなどと喜んでいられる時代は終わったということを一刻も早く認識すべきである。
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 気温の上昇など気象現象の変化が、人間の経済活動によると完全に断定できるわけではないと言う人がいる。だが、こと生存をめぐる問題に関しては、白か黒か分からないことは黒だと考えるのが当然なのではないだろうか。環境問題はグローバルな問題であって、日本だけが努力しても始まらないとの意見も多いだろう。だが、これについても、全ての国が合意できなければ何もしないのでは、おそらく最後まで何も始まらない。一人で実行することは難しいかもしれないが、一つの国全体でならできる。
 人は欲望を満たすことを「豊かさ」とし、それを実現させるために努力を重ねてきた。だが、その豊かさは「石油を燃やすこと」でもあった。今、その価値観を根本的に変えることが必要なのである。東日本大震災の時、私たちは平凡な日常の幸せを思い知った。「豊かさ」に代わる「幸せ」は、きっと見つけ出せる。
 地球を使い捨てにせず、子どもたちが大人になった時に、竜巻や豪雨におびえることも、食糧不足に苦しむこともないよう、安心して生きていられる世の中をつくりたい。 」