あと14年で「致死量」

 10月30日に、世界気象機関(WMO)が2016年度の地球大気中の二酸化炭素平均濃度を発表したことをきっかけとして、温暖化問題に関する新聞記事をいくつか目にした。いずれも問題の深刻さに比べると小さな記事である。
 WMOによれば、それは403.3ppmで、過去最高を更新したそうである。私としては、その値よりも、2015年比3.3ppmの増加で、この増加幅も過去最高だったということの方が重大に思われる。なぜなら、たとえ大気中の二酸化炭素濃度が最高を記録したとしても、増加の幅が少しずつ減少していれば、まだ地球環境を守ることについての希望が見えてくる、しかし、増加のペースが加速していれば、まずます人類の過酷な未来への道筋がはっきりしてくるからである。
 まぁ、我が日本だけを見ていても、先日当選した県知事や、安倍某を始めとする自民党の方々なんて、資源や環境に問題がなければ石油をどんどん燃やしてもうける、資源や環境に問題があれば、やっぱり石油をどんどん燃やしてもうける(笑)、要は何が何でも金、自分たちが今の地位を離れた20年後、30年後に何が起ころうと知ったことではない、温暖化対策もビジネスチャンスでしかないという人たちだから、二酸化炭素の増加が抑制されるとは夢にも思えない。もちろん、直ちに彼らが悪いとは言えない。彼らを支えているのは県民・国民であり、彼らの存在は人々の意識の反映である。
 WMOの報告書によれば、過去10年間の増加ペースは年平均2.21ppmだが、上の3.3ppmにも表れている通り、近年上昇傾向にある。パリ協定で掲げる、気温上昇を産業革命前との比較で2℃以内に抑えるという目標を達成するためには、大気中濃度を450ppm以下に保たなければならないらしいが、(450−403.3)÷3.3=14.2。つまり、2016年度の増加幅を保ったとして、わずか14年あまり後には「致死量」とも言うべき水準に到達することを意味する。増加量を減らし、マイナスに転ずることは可能だろうか?少なくとも日本を見ている限り、可能性は極めて低い。私自身は滑り込みで間に合う、つまり終末的情況が生じる前にこの世にバイバイできるかな、と思っていたが、案外、生きているうちにそれを目の当たりにすることになるような気がしてきた。
 報告書では、このままいくと今世紀末に地球の気温は3℃上昇すると予測する(IPCCではMax4.8℃でしたね。そちらの方が正しいと思った方がよい。)。パリ協定どおり2℃未満に抑えるためには、2030年時点での各国の削減目標に加え、日本の年間排出量の10倍程度を追加で減らさなければならないという。現在の状況からすると、実現はほとんど夢物語だ。
 パリ協定は、2020年に協定に基づく温暖化対策を開始すると定めているが、それは2020年までは何もしなくていいという意味ではないはずだ。まして、後から後から法の網の目をかいくぐるようにして石炭火力発電所を建設し、WMOから名指しで指摘されるというのは本当に情けないことである。
 私は前々からよく言うのだが、虫のいいことを考えていてはいけないのである(→参考記事=この記事の下部にあるトラックバックも参照されたし。)。お前の自動車とエアコンと大型テレビを寄越さなければ殺すぞ、と言ってピストルを突き付けられた人が、それらを手放さないことがあるだろうか?あるはずがない。ではなぜ、気温も水温も上昇し、激しい豪雨で大きな被害が出ることが年々増えているこの切羽詰まった状況下で、それと同様の決断が出来ないのか?私にはそれがよく分からないのである。いや、国民の意識というものを見ていると、今の「豊かさ」路線を手放せない人々が多数派であることについては分からないこともない。だが、その危うさを声高に語り、訴える人が目に付かないほど少ない、という状況はやはり分からない。
 2℃なら安心、というものではない。2℃でも、平均でそれだけ変わるとなれば、想像を絶する過酷な気象変化である。本当はそんなに上がると困るのだが、理想ばかり語っても仕方がないので、ぎりぎり妥協の範囲として設定されたのが2℃だと私は思っている。3℃、まして4.8℃なんてあり得ない!昔から言われるとおり、人間は、自分に不都合な現実は見ようとしない。だが、そのことが既に指摘されて人類の「知」となっている以上は、そのような人間観を共有し、乗り越えようと努力することが必要だ。それができていないという問題に気付いている人間は、広く訴えかけていく義務を負う。
 新聞!もっと大きな記事にしろよ!!テレビ!繰り返し特番を放映するくらいのことしろよ!!途方もないことが起こるようになる。自然全体と比べれば、人間は虫けら以下の存在である。