「戦争の教訓」と温暖化

(8月24日付「学年主任だより」№16より)


 なんだか長い夏休みだったような気がする。就職を始めとする進路決定についての様々な作業、オリンピック、コロナの感染爆発・・・と、落ち着かない要素が多かったからだろう。
 東キャンパスは知らず、幸い、23日午前の時点で西キャンパスからは感染者も出ておらず、その他の事故の報告もない。各自充実したよい夏休みが過ごせたことだろう。
 私は、7月末に夏休みを取って山に登りに行ったりしたが、8月に入ってからは、毎日学校にいた。3学年の諸君と会う機会も多かった。図書館に行くといつも何人かが勉強している。自ら学ぶ若者の姿というのはいいものだな、と思った。


(裏面)8月10日付朝日新聞「時時刻刻」欄を貼り付け。見出しは「『人間が生んだ危機』断定」「気候影響数千年続くと予測」
(平居コメント=記事の大きさの都合で表面)マスコミ報道は8月上旬までオリンピック一色で、その後はコロナに変わった。しかし、何と言っても重要だったのは、8月10日に一斉に報道されたIPCC報告書に関するものだったと思う。日本の集中豪雨は年中行事化しているし、ドイツでもトルコでも中国でも大洪水、イタリアでは48.8℃、ギリシャでは山火事多発、そして先週は北極圏・グリーンランド氷床の最高地点(3200m)で雨が降った!!!(怖)
 ところで、8月15日は終戦記念日。今年も太平洋戦争に関する多くの報道があり、体験や教訓の継承が訴えられたが、戦争の教訓は戦争についてだけ有効なわけではない。戦争を引き起こした人間の性質は、いまでもそのまま継承されていて、私たちの生活の全ての場面に作用し、新たな問題を引き起こしている。戦争だと言えば戦争のことしか考えられないのでは、人間は賢くなることが出来ないし、おそらく戦争も防げない。「人間の性質」というレベルでの一般化、普遍化が必要だ。当然、環境問題を引き起こしているのもその「人間の性質」だ。
 一昨年、「学年だより」で戦争の教訓に触れた時、私はそこに表れた人間の性質として3つを指摘した。その中で最も重要なのは「景気のいい話、自分に都合のいい話が大好きで、不都合な話からは目を背ける。」というものだ。
 ついに世界の科学者が「温暖化は人間の活動が原因」と断定し、その予想は人類の生存を許さないほど深刻なものであるにもかかわらず、人は自分の生活が温暖化を引き起こしていることに無頓着である。真っ青になって生活の見直しをしようなどという話には全然ならない。ここで「戦争の教訓」など思い浮かべる人は誰一人いないだろう。教室のエアコンもついに稼働を始める。


*その他の記事(向こう1ヶ月間の予定など)は省略。