寄生虫博士が教えてくれたこと

(7月1日付け「学年主任だより№12」より①)


 早くも7月。求人票の公開が始まる。
 ところで、先週、「学年主任だより」を配布した6月23日は、沖縄戦終結記念日であった。なぜ先週そのことに触れなかったかと言えば、本当に恥ずかしいことに、忘れていたのである。印刷した直後、突然思い出し、例によって「しまった!」と思った。
 現代日本、と言うより、私たちが日々の生き方を考える上で、太平洋戦争は絶対に避けて通ることのできない教訓の宝庫だ。東日本大震災のような自然災害と違って、戦争は100%人間が引き起こした事件であり、死亡者数も桁違いだ(日本人だけで震災の100倍以上!)。東日本大震災の教訓などよりも、戦争の教訓の方が数百倍も大切なのに、なぜ東日本大震災の教訓を伝えようという人が、戦争の教訓には真剣に向き合わないのか?と私は日頃からぶつぶつ言っている。そして、6月23日は、そんな過去と向き合うための重要な日にちのひとつである。それを忘れていた私はまだまだ甘い(涙)。
(6月28日毎日新聞に載った藤田紘一郎氏の訃報貼り付け。亡くなったのが5月14日だったとはびっくり!!)
 藤田氏は、非常にわかりやすく、ユーモアにあふれた文章を書ける人で、私はファンの1人だった。そして何よりも、「清潔すぎる環境が病気を作る」という主張に強い説得力を感じ共感していた。人間は文明によって自然から遠ざかることで、とても多くのものを失っているのだ、ということに気付かされる。同時に、「清潔はいいことだ」という世間の常識が、決して正しいとは限らないこと、つまりは、常識を疑うことの大切さも教えてくれた。合掌。


裏面:6月24日河北新報より、夫婦別姓を認めなかった最高裁判決の記事を貼り付け(第3面のものだったかな?)。見出しは、「『世界標準』ほど遠く 最高裁、夫婦別席再び認めず 司法、政治に丸投げ 停滞」。
平居コメント: 高校生って、将来結婚した時の「姓(苗字)」について思い巡らすことがあるのだろうか?自分の高校時代を思い出してみても、よく分からない。日本では、96%の夫婦が夫の姓を名乗っているらしいので、案外、男にとってはどうでもよく、女にとって切実な問題なのかも知れない。
 私が結婚した時は、やはり妻が姓を変えた。私はどちらでもよかった。「平居」という姓は目立つから嫌だなぁ、佐藤、高橋、阿部、鈴木といった姓だといいのにとずっと思っていた。妻の旧姓は、それらほどではなかったけれど、「平居」ほど珍しい姓ではなかったので、妻の姓にしてもいい、いや、ここはひとつ「平等」原則に従い、じゃんけんにしようかなどとも考えた。私のそのような思いは空回りだった。妻にはあっけなく却下された。女は「姓」が変わらないと格好が悪いのだ、と言う。はぁ、そんなものか、と思った。もっとも、それは姓を変えても妻にとって(主に仕事の上での)不利益にならなかったからに過ぎない。世の中には、感情的な問題ではなく、姓を変えると実害がある人もたくさんいるというのは分かる。
 選択的夫婦別姓(別姓でなければならないのではなく、別姓でもいいという制度)を認めようという法律が、野党によって初めて国会に提案されたのが1997年。以来、国会が開かれるたびに、提案されては可決に至らないという状態が続いている。なぜ夫婦同姓は維持されているのか?賛否両派についてその理由を調べておいた方がいい。「当たり前」は「当たり前」とは限らない。日本の常識が世界の非常識である場合も少なくない。夫婦が必ず同姓でなければならない国というのは、実は超少数派だ(唯一という説もある)。
 ところで、この記事には、最高裁判所の15名の判事が、今回の裁判についてどのような意見を示したかが書かれている。授業でも勉強したと思うが、「最高裁判所裁判官国民審査」という一種の選挙もあるからだ。それについても諸君は間もなく有権者となる。忘れないように。

(上の記事の我が家の姓に関する部分は、「学年主任だより」にはなし。)