西夏文字解読という偉業・・・西田龍雄氏のこと



 昨日の新聞各紙に、西田龍雄氏の訃報が載った。西夏文字の解読者である。

 昔、中学時代だったか高校時代だったかは憶えていないが、井上靖の『敦煌』を読んだ時、妙に印象に残った場面がある。主人公・趙行徳が、助けた女から礼として一枚の布きれをもらった。見ると得体の知れない文字が30個並んでいる。女はそれが西夏の文字であると告げた。行徳は読めないので、それを進士試験(中国における高級官僚登用試験)の長であった礼部の長官(礼部尚書)のところに持ち込み、解読を依頼した。やはり読めなかった礼部尚書は、その文字を「漢字を真似て作ったつまらぬ文字だ」と切り捨てる。それに対して行徳は、「一つの民族が文字を持つということは大変なことではないのか」「文字を持ったということは、それだけ西夏が大国になったということではないか」と食い下がる。こんな場面である。

 通常の言葉は、すべて音だけで生まれ、はるか後の時代になって文字が発明され、固定されるようになった。独自の文字を生んだ民族もあるが、先に文字を生んだ民族から、その文字を借り、アレンジして、自らの文字とした民族も少なくない。しかし、文字がない限りは知識も知恵も集積されること少ない。文字の有無は、文化・文明の発達に絶大なる影響を及ぼす。その意味で、確かに文字はその民族の文化水準の象徴だ。そんな文字の持つ大きな意味に、私は『敦煌』で、ぼんやりとではあるが気付かされたような気がする。

 その西夏文字が既に解読されていること、解読に成功したのが日本人であることを知ったのは、いつだっただろうか?このことについては、学術書以外に、『西夏文字−解読のプロセス』という一般向けの本(玉川大学出版部=復刻版)が出ている。一読し、大変な作業ではあるけれども、知的に極めてエキサイティングであり、また、それが意外に短い時間で成し遂げられたことに驚いたものである。

 思えば、『敦煌』が書かれた1959年は、西田氏が正に西夏文字の解読に取り組んでいた時期であった。しかも、小説の中には、行徳が1年半をかけて西夏文字と漢字の対照表を作り上げる場面まである。西田氏は、やがて1988年公開の映画『敦煌』に監修考証として協力するが、井上靖の『敦煌』執筆が、西田氏の仕事と関係していなかったのかどうか?・・・本当に偶然だとすれば、偶然とは正に神の手配なのだ、と思う。

 私の関心は、『敦煌』をきっかけとする西夏文字にばかりあって、実は、西田氏の他の業績についてはまったく無知であった。今回、訃報を見付けたことをきっかけに、西田氏の仕事をたどってみると、西夏文字だけではない、アジア言語に関するたいへんな碩学であることが分かった。一般的な書物の範囲で、もう少しこの人の仕事は追ってみたい、という気がした。合掌