東京の神保町に「東方書店」という中国関係書籍専門店がある。中国からの輸入書や、日本で出版された中国関係の本を売っているだけでなく、更には出版もしている。私も学生時代以来ずいぶん世話になっている会社である。
その「東方書店」が、『東方』という情報誌を出している。時代の波に押されて、『東方』もつい最近Web化された。そのWeb版『東方』で、今日、私が書いた書評というものが公開された(→こちら)。
取り上げたのは、『「敦煌」と日本人』(榎本泰子著、中公選書、2021年3月)である。思いもかけないところからの依頼で書いたのだが、書くことが決まってから締め切りまでに4ヶ月近くも時間があったことや、一般書であることによって、逆に難しいと感じた。1週間くらいの時間で、勢いに任せて書いた方がいいものになったのではないか。今でもそんな思いがふと頭をよぎる。少し補足を書いておこう。
この本を読んで、私は1980年頃に敦煌ブームがあったことを初めて知った。1980年頃と言えば、私が高校から大学にかけてである。確かに私も敦煌をはじめとするシルクロードには大いなる憧れを抱き、当時はまだ中国西域を自由に旅行が出来なかったので、大学を休学してパキスタンからイラン、トルコ、シリアといったあたりをうろつき回ったりもしたのである(1983~84年)。しかし、それを敦煌ブームに煽られてと意識したことはなかった。父親の書架に相当数のシルクロード関係書籍が並んでいたことには影響を受けたであろうが、それとて、父親がブームに乗っていたわけではなく、歴史や地理に対する関心の結果であっただろう。
著者の榎本泰子氏(中央大学教授)とそのお仕事は、拙著『冼星海とその時代』の中に貴重な先行研究として頻繁に登場する。中国近代音楽史の大家と言ってよいのだろうが、その価値は、研究内容だけでなく、表現が非常に明快・平易である点にもある。研究者が、その成果を一般人が享受できるような形で発表するというのは大切なことである。研究成果は公共物であるべきだと思う。
「書評」にも書いたことだが、そんな氏の特質は、この本にもいかんなく発揮されている。私は初めてこの本を手にした時、手に汗握るような思いで読んだ。もちろんそれは、著者の筆力だけの問題ではなく、登場人物たちの熱い思いの反映でもあるのだが、その熱い思いとて、著者の筆力なしでは伝わってこないだろう。
内容に関して、様々な問題点を指摘できるくらいの知識が私にはない。唯一、第5章の中国旅行の歴史に関する部分だけ、多少の意見を言うことが許されるように思う。
制限字数の関係などもあり、「書評」には書かなかったのだが、中国旅行の歴史に関して、著者による言及がないのは残念だと思ったことがある。それは「短期留学」という旅行形態についてだ。
私が初めて中国に行ったのは1982年夏であった。個人旅行が許されていなかった当時、私が在籍していた大学の中国語の先生は、「短期留学」への参加を勧めた。そこで、この時は西安外語学院に、その10年後には北京の清華大学に、それぞれ3週間の短期留学をした。
これは、普通のパッケージツアーと同様に、何の審査もなく、ただ申し込むだけで参加できる。全国のおびただしい数の大学で短期留学生の受け入れを行っており、滞在先はよりどりみどりだった。
滞在中は大学内にある外国人用の寮に泊まり、午前中は中国語の授業、午後は学校のバスであちらこちらの見物に連れて行ってもらう。北京の時は、途中にオプションで、大同への3泊2日(車中2泊)ツアーも組まれた。短期留学生の世話係が何人か付く。西安の時は、日本語科の学生数名も含まれていた。全ての人が本当に親切。私は、日中友好の基礎を作っていく上で本当に優れた企画だと思った。中国としては外貨も稼げるし、正に一石二鳥である。中国以外の国でも「短期留学」は存在したが、国策であるという点とその受け入れ規模、加えて自由旅行に多くの制限があるという環境要因によって、その他の国の短期留学とはまったく違うものだったと思う。
何年か前に気になって、今でも短期留学が行われているかどうか調べたことがある。残念ながら、ほとんど(まったく?)見出すことができなかった。それが中国側の変化によるのか、日本側の変化によるのか、あるいはその両方なのかは分からない。日本側の事情について言えば、中国語を第2外国語として選択する学生は桁違いに増えたのに、おそらくは、ハングリー精神の欠如による内向き指向、旅行が容易になったこと、中国語学習の目的が利害打算によること、そして対中感情の悪化などによって、ニーズは低下したのではないか、と想像する。著者によるそんなことについての考察も読んでみたかった。