ある論文の数奇な運命

 今年の1月17日、東京の某大学の知らない先生から勤務先に電話がかかってきた。「縁のある中国人からの依頼で電話をしているのだが、あなたが5年前に書いた論文を中国語に翻訳して、中国・内蒙古師範大学の紀要に掲載したいのだが、了承してもらえるか?」という話だった。内蒙古師範大学における中国共産党建党100周年の企画で、最近海外で書かれた共産党史に関する優秀論文として選定した、翻訳者は丁暁傑という九州大学に留学経験のある先生だ、という説明もあった。私は、「特にお断りする理由もありません」と答えた。その後、メールで翻訳者とのやりとりが始まるのだが、それはどうでもいいような話なので、ここには書かない。
 今日、このことをあえて取り上げるのは、この論文の運命が面白いからである。
 この論文は「冼星海の入党--抗日戦争期の中国共産党組織事情」という題のものである。私がこの論文を書いたのは、2015年春~夏のことだった。私が一応ホームグランドにしている某学術雑誌は、2月と8月が締め切りである。私は8月の締め切りに合わせて原稿を提出した。
 査読(審査)が行われ、いろいろと問題点が指摘された。最初に査読結果を読んだ時に、これは変だぞ、と思った。あまりにも基本的なことが分かっていない、いわば的外れと言っていいような指摘が含まれていたのだ。まさか学部の学生(大学3~4年生)に査読をさせるわけがないし、何かの手違いであるにしても、専門違いの人が1人で査読をしているのでなければこんなことが起こるわけがない、と思った。査読というのは必ず複数で行われるべきものである。その後のやりとりはよく憶えていないが、もしかすると私が査読内容にあれこれ文句を言ったのかも知れない。やがて「この論文は掲載できない」というメールが届いた。
 さて困ったぞ、と思った。私もそれなりにエネルギーを費やしているし、何より、査読の意見を読んでも、どのような問題があるから掲載に値しないのか、どこをどう直せば掲載に値する論文になるのかまるで見当が付かなかった。自分で読み直して、立派な論文だと誇るに値するとは思わないまでも、「ボツ」になるほどくだらないものにも思われなかった。
 査読者が誰かということは、通常は教えてくれない。ただ、論文の内容から考えて、この方は絶対に査読者にはなっていないだろうと思われた某教授に、どこかに発表の場が得られないか相談した。先生は、中国社会文化学会という組織を紹介してくれた。年会費が某誌の2倍で、雑誌の発行回数は年1回(=半分)ということは、実質的に会費が4倍である。高いな、とは思ったが、保険をかけるつもりで入会することにした。
 私は当時、某地方大学に事務局のある2つの学会に所属していたが、片方は語学文学の学会なので、史学らしきことを専門にしている私は、何でも持ち込めるわけではない。文学にかすっていそうなテーマの時に限られる。どんなテーマの論文でも、中国に関係さえしていれば持ち込めるという第2の場所は必要だった。
 中国社会文化学会の会報は2月が締め切りである。私は、某誌で「ボツ」になった原稿を、ほとんどそのまま送った。査読はあったが、特に問題視されることもなく、2016年7月に発行された『中国-社会と文化』第31号に私の論文は掲載された。
 さて、『内蒙古師範大学学報(哲学社会科学版)』に掲載された中国語版の拙論は、一昨日まずメール(PDF)で送られてきた。紙の冊子は後日送ってくれるそうである。自分の書いたものが外国語に翻訳されて公開されるというのは初めてのことである。偶然ごく一部の人の目に止まったというだけであって、広く高い評価を受けたわけではまったくないのだが、なんだか世界で認められたような気がして嬉しいものだ。自分の書いたものが専門家によって翻訳されると、中国語の言い回しがよく分かって面白いとも思った。
 ここでふと思う。この論文が某誌に掲載されていたら、果たして中国の先生の目に止まったであろうか?発行部数の違いがどれくらいあるのか知らないが、某地方大学関係者の内部雑誌に近い某誌に対して、東京大学に事務局を置き、特定の大学に従属していない『中国-社会と文化』は、存在として普遍的であり、より多様な人の目に触れる機会があるような気がする。そんな雑誌に掲載された論文だからこそ、中国の大学の先生の目に入り、評価を受けることになったのではないか?これは、変な査読で「ボツ」になったおかげである。こういうのを「塞翁が馬」と言うのだな、と思う。何か悪いことがあっても、それがやがて次の「福」のきっかけになるかも知れない。人生は悲観せずに生きていこう。
 だが、このことは逆もまた真なり、である。中国共産党建党100周年のおこぼれに与ったことで、平居は中国共産党のシンパだという評価を受け、嫌中派の人々から石でもぶつけられたりすることがあるかも知れない。人生はおごらずに生きていこう。