日本人が中国に見た夢と幻・・・ラボ第27回

 昨日は、「ラボ・トーク・セッション」の第27回であった。ご登場いただいたのは、中央大学教授の榎本泰子氏、演題は「日本人が中国に見た夢と幻 日中交流の歴史を巡って」。
 この先生については、『「敦煌」と日本人』という著書との関係で、かつてこのブログにも一文を書いたことがある(→こちら)。私が先生と重なり合う20世紀前半の音楽史、もしくは文化史というものを研究対象としていたこともあって、先生の研究からは大きな恩恵を受けている。深い研究をするというだけでなく、その成果を一般市民向けに語れるということに関して、これ以上の方はいないのではないか、と思う。私にとってそんな尊敬に値する大家に、ついにラボに来ていただいた、ということである。
 さて、昨晩のお話。先生は、当初、中国における西洋音楽受容史を研究していたが、中央大学に勤めるようになってから、自分にとっての中国と学生にとっての中国にずれがあることを感じ、「そもそも自分はなぜ中国に関心を持ったんだろう?」という疑問を持たれた。そして、それは1980年代のシルクロードブームの影響だったのではないか?との仮説を立て、その真偽を確かめるために、シルクロードもしくは敦煌を巡る日本人の動きを研究するようになった。
 昨日のお話で先生は、『「敦煌」と日本人』に書かれたことを、時代ごとの意識調査の結果などを用い、補足しながらたどった。そして、自分が中国研究の道に入ったのは、まさしく時代の影響だったのだ、という結論に達する。同世代の中国研究者はおおむねその結論に共感してくれる、と言う。その上で、絶対に動かしようのない「永遠の隣国」である中国との付き合い方について、5つの提言をされた。ここは、先生から示された資料の通りに列記しておこう。

・「古い中国」と「今の中国」の理解は車の両輪。どちらか一方ではダメ。
・「こうあってほしい中国」を求めすぎない。現実を見る。
・現在、メディアの情報は政治・経済・外交に偏っている。文化・芸術・人々の暮らしなどを知る努力が必要。
・直接的体験は理解の第一歩。交流のチャンネルを確保する。
・若者どうしの交流に期待。日本カルチャーにあこがれる中国の若い世代を大切に!

 講演は60分でお願いしてあった。ストップウォッチで計っていたわけではないが、なんと15秒とずれることなくお話は終わった。あの分かりやすい本を書く先生ならではのような気がした。『「敦煌」と日本人』を何度か読んでいた私と、おそらく読んでいない参加者との間に、聞きながら思ったことにはやや差があるかも知れないが、終了後の懇談の場でいろいろと話をしていると、話がとても分かりやすく、自分自身の中国に対するイメージや思い出を再確認・再発見させてもらったという声が多かった。
 私は、先生のお話を聞きながら、それらが全て日本人の側からの視点で語られていることが気になった。もちろん、日本人による研究としてそれは仕方のないことで、悪いことではないのだが、先生と同様の研究を完全に逆の立場、すなわち中国の側から行い、中国から日本がどのように見えるのかということを明らかにし、両者のずれが確認できれば、より一層日本と中国の相互理解というか、歩み寄りのための力が生まれるように思えたのだ。例えば、上の「『こうあって欲しい中国』を求めすぎない」にしても、中国の側には「こうあってほしい日本」があるはずで、それは一体どのようなものか?それと現実の日本のイメージはどのようにずれているのか?ということが分かった方がいい、ということである。
 先生は『「敦煌」と日本人』において、そこに書いたような熱い交流の歴史を、若者たちに知ってほしいとの思いを訴えている。そのことを知っていた私は、過去にラボに参加したことのある市内の大学生を中心に、若者に対して強い働きかけを行ったのだが、残念ながら30歳未満の参加者はいなかった。コロナ明けのラボには、毎回2~5名の大学生が参加していたのに、今回ゼロだったというのは、たまたま都合が付かなかったのか、自分の専門と関係がないからなのか、テーマが中国だからなのか、それは知らない。ただ、日中関係という問題は、全ての日本人にとっての問題であって、研究者や、中国と取引のある会社の人だけの問題ではないのだから、もっと多様な、特に若い人には聞いて欲しかったな、との思いが残った。
 今日は、我が家において先生と主催者2人とで「お茶」をし、女川まで被災地巡検(海鮮丼を食べる)に行った。先生とは、もう少し突っ込んで中国についてのお話もしたかったのだが、それはまたいずれ。私にとっては、いい2日間だった。