(10月2日付学級通信より=いささか宮水生に不名誉な記述もあって、公開するかどうか迷ったが、高校生が勉強しないなどというグチは、前任校でも前々任校でも、更にその前でもこぼし続けていたので、今更特に問題にするには当たらないだろう。)
台風騒ぎで、少しつまずきはしたが、「後半戦」が始まった。行事が多くて大変だが、諸君の高校生活後半の始まりでもある。
さて、期末考査が終わって後期が始まるまでの2日間の休み(ただの土日)に、実は私の誕生日というものがあった。驚いたことに、人生がなんと半世紀に達してしまった。しかし、この歳まで、なんとか無事に生きてきたことに感謝の念は抱くものの、記憶力、気力(意欲)、体力の衰えは甚だしく、誕生日を喜ぶ気になんかまったくならない。残された人生はけっして長くない、と思う。その時間の中で何をすべきか、日々衰えていく意欲の中で時々考える。ともかく、老人はいたわってくれ。
【やっぱり「背伸びせよ」、若者!】
《話題1》
先週金曜日の午後だったか、考査の採点をしながら、某先生と次のような会話をした。(A、Bの片方は私だが、もう片方が誰かは名前を伏せておく。自由に想像してくれてけっこう。)
A:勉強の跡が見られない。
B:う〜ん、本当に・・・!せっかく高校に通っているのに、よくこれだけ勉強せずにいられるものだ。
A:まっ、最終的に損するのは彼ら自身だからね。もったいないけど・・・。
B:彼ら損するのかなぁ?夏休み明け実力テストの採点していて思ったんだけど、こんなにデタラメな字や日本語書いてて「恥ずかしい」って思わないんだから、むしろ彼ら自身は幸せなんじゃないかな?
A:え〜〜っ?「恥ずかしい」云々ならまだいいけど、この子たち、だますの簡単だよ。悪い人にいいように利用されるよ。
B:でも、そのことに気付かなければ、「悔しい」とか思わないんだから、やっぱり幸せじゃん。
A:だけど気付くまで追い詰められることだってある。
B:?どうかな?僕なんかはむしろ、彼ら自身の幸不幸よりも、社会にとっての利益ということを考えてしまうなぁ。やがては選挙権を持つわけだし、その選択をする時には、正しく日本語を書ける必要はなくても、読み聞きできる必要はあるんだから・・・。書ける必要はない、にしたって、書けないってことは論理的に考えられない、ってことだしね。
A:だけどそれなら、勉強がよくできて有名な大学を卒業している人が、必ず立派なこと考えてるって訳じゃないから、学力って良し悪しの判断とどこまで関係するのかなぁ?
B:確かに、勉強はしないけど、いい奴はけっこういるしね・・・。
結局、なんだか分からなくなった私であったが、そもそも勉強して何のためになるかという打算的、実利的な話以前に、知っていること、出来ることが増えるというのは、それだけで純粋に楽しいことだと思うのだけれど・・・。
《話題2》
同じく金曜日、文科省の「高校生の留学に関する意識調査」という簡単なアンケートに答えてもらった。その結果、
留学したい 8名
留学したくない 31名 であった。
私には驚きである。留学したい人って、こんなに少ないの?
留学したくない人が、その理由として挙げた中で圧倒的に多かったのは、「言葉の壁があるから」(26名)で、次が「経済的に厳しいから」(14名)であった。留学の申込用紙なら分かるが、ただのアンケートなんだから、どうしてそのような現実的要素を気にするかなぁ、と思う。しかも「言葉の壁」なんて、ただの努力でどうにでも出来るものである。まぁ、結局の所、なんとなく今の生活に満足していて、留学なんていう面倒なことはしたくない、後付けでその理由を探した結果が、言葉であり、金だということなのだろう、と想像できる。
現実的問題にぶつかってうまくいかないことは多々あるものだが、せめて、もっと広い世界を知りたい、高いレベルに達したいという願望くらいは持てないものかと思う。そうしてこそ、世の中は楽しくなるものだ。私がいつも言っている「背伸びせよ」とは、そういう意味なのだ。
(裏面:9月23日付『朝日新聞』より「国語世論調査」=この話は、おそらく全ての新聞に取り上げられていた。スペースとの関係で、一番使いやすかったのが『朝日』の記事だったというだけ。
平居コメント:私自身も「もともと」とは違う意味で言葉を使っていることがあることに気付かされ、びっくりしたりする。)