研究の裏に人間の営み

(6月16日付け「学年主任だより№10」より)


 今年は、西日本で例年より1ヶ月前後も梅雨入りが早かったので、東北もかな、と思っていたら、意外にその気配がない。来週末に体育祭が予定されていて、学校内のスケジュールの窮屈さから、「延期はナシ(悪天候なら中止)」ということになっているので、その頃が梅雨入りの不安定期になったら嫌だな、と気を揉んでいるところ。
 ところで、昨日、国会に「内閣不信任決議案」というのが提出された。内閣不信任決議案って何?なぜ提出されたの?今後どうなるの・・・?そう言えば、それに先立ち、先週の水曜日には、今の首相になってから初めての「党首討論会」が行われた。どの党首が何を語ったのか?また、週末にはイギリスで「G7」が開かれた。G7って何?そこで何が話題になり、日本の首相はどのような意見を述べたのか?そもそも首相は、昨秋の就任以来、どのようなことをしてきたのか?今開かれている国会では、何が議論され、どのような法律が成立したのか?・・・諸君は、これらについてどのような情報を手に入れ、是非についてどのように考えているだろうか?
 「え、何の話?」と言う人は、選挙の時にどうやって人を選ぶつもりだろう?選挙講話の時に、投票の決意とともに、人を選ぶことの難しさを書いた人は多かったが、投票の直前にあわててスマホをいじったからといって、何が分かるわけでもない。日頃から政治家の言動をチェックし、本来どうあるべきなのかという原点から是非を考える。そういうことをしなければ、将来苦しい思いをするのは諸君自身だ。


【明日から考査、なのだけれど・・・】

 私は今年、残念ながらビジネス科の授業に行っていないが、普通科を見ている限り、欠席も昨年ほどは多くなく、雰囲気も落ち着いていて、まずまず安心してみていられる。
 一方、先日某君が「今回のテストで、就職調査書の点数が決まるから、今回だけは頑張らないと」と言っているのを耳にして、「何考えているの?」と思った。まぁ、生徒諸君の切実なニーズから考えれば仕方のないことなのかな、と少しは思うが、そういう発想をしていると、進路が決まったら学校の勉強なんてどうでもいい、ということになってしまう。
 自分の実力(知識・教養)のなさを自覚できるかどうかも実力のうち。勉強はすればするほど知らないことが増えていく。いや、正確に言えば、知らないことの多さに気付いていく。するとますます勉強せずにはいられない。逆に言えば、勉強しない人は、勉強の必要性に気付けないので、学校で考査があるとなれば、考査で点数さえ取れればそれでいいと考えてしまう。そのこと自体が未熟さを表していると知って欲しい。


裏面:3月12日付け毎日新聞「コロナで変わる世界 第3部 イノベーションの時代(1)」の前半を貼り付け。見出しは「mRNAワクチン立役者 テディベアに全財産隠し 『鉄のカーテン』越え渡米後研究に心血」。
平居コメント:全国で新型コロナウイルスのワクチン接種が進んでいる。塩高の先生にも、市でワクチンが余った時には希望する先生に優先的に接種しますよ、という案内が来た。
 新しい病気のワクチンがたった1年で開発され、何億本も製造されて、世界中で接種されているというのは、一昔前の感覚では全く考えられない奇跡のような出来事、いや、奇跡そのものだ。それを可能にしたのが、この記事にあるハンガリー出身の女性科学者カタリン・カリコ氏が発見したmRNAを使う技術である。スペースの都合で記事の一部しか引用できないのが残念!
 驚くのは、これほど有用性が分かりやすい研究でも、長い間その価値が認められなかったということだ。人が新しいものの価値に気付くというのは難しいことなのだな。
 ワクチンの性質や、mRNAを使う技術に関する記事はたくさんあったが、そのほとんどは「科学的説明文」である。しかし、新しい技術、或いは研究というものの背後には、それが人間の営みである以上、必ず人間的なドラマが隠されている。そんなことに目を向けてみるのもいい、と思ったので、中途半端にはなったがこの記事を紹介することにした。


*これらの他、学年行事「第1回教養講座」の保護者向け案内と、「教養講座」誕生のいきさつを書いた記事があるが、ブログでは省略。