風化の現在進行形

 この土日は、家族で秋保温泉へ行っていた。昨年(→こちら)と同じく、教職員組合主催の任意学習会「教育講座」である。
 私は秋以降、実行委員として準備にも携わってきた。教員が、研修の場を持つのは大切なことだし、学ぶというのは任意性が高いほど効果的だというのは当然なので、このような学習会には価値がある。しかし、学校で参加者を集めるのは容易ではない。今回の「教育講座」も、参加者は部分参加を含めて120名、宿泊して2日間参加したのは70名であった。そこそこの規模ではあるが、この講座の呼び掛け対象となる県立学校教職員数が、講師を含めると1万人に近いだろうことを思うと1%。やはり少ない。
 職場で若者を誘うと、即座に断る人は案外少ない。ところが、たいていの人は「ちょっと予定見てみます」とか、「少し待って下さい」とか、「考えておきます」とか言い、数日後にもう一度声をかけると、同じ返事が返ってきて、いよいよ申し込みのリミットだと思って数日後にまた声をかけると、「今回は遠慮しておきます」みたいな答えになる。このやりとりは結構ストレスである。「今回は」と言いつつ、次回も来ることなんてない。
 彼らの表情を見ていると、最初から参加の意思はないことが分かる。おそらく、考査直前の土日がさほど忙しいわけではない(たいていは部活が休み。だからここに設定してある)。こだわりは、主催が教職員組合だということらしい。
 彼らが、なぜ、教職員組合に拒否反応を示すのか、その理由はよく分からない。宮水の若い教員に、「政治的だから嫌です」と言われて驚いた話は、確か以前書いたことがある。それだけ明瞭に言い切る人は珍しいにしても、大抵はそのように思っているような気がする。だが、政治とは何か、私たちと政治がどう関係しているのかということを少し真面目に考えていれば、避けている場合ではないということが分かるはずだし、彼らが教職員組合とその活動についてどれほどのことを知っているかと言えば、まず間違いなく、ほとんど何も知らない。
 私は恐ろしいことだな、と思う。労働者が組合に入るのは当たり前のことだ。今の私たちの勤務条件や待遇は、多くの先人の長年に渡る活動によって勝ち取られてきたものである。決して、自ずからあるものではない。今の教育行政が、多くの問題を抱えていることも、普通の人間なら分かりそうなものだ。戦後日本の教育が、太平洋戦争中に政府・軍の宣伝塔となってしまったこと、すなわち、教育が政治に従属してしまったことに対する反省を出発点とする、というのも明瞭である。今まで、先人は、いろいろな方法でそれを伝えようと努力してきた。
 しかし、若者達は、それらのことにまったく無関心であったり、そのような事をまじめに考えることが(=教育行政と対立関係になることが)自分の不利益になることを恐れていたりして避ける。教育行政による服務規律の徹底という美名によって、学校内での宣伝・活動も制限されてくる中で、ことは悪循環を起こす。何が正しいか、本来どうすべきなのか、ではなく、みんながやっているかどうか、で判断するという相対的な思考によって、状況の悪化は更に加速する。
 私が駆け出しの頃、先輩に誘われれば、なんだかよく分からないが、いろいろな人と話が出来る、勉強になる、ということにつられて、ほいほい出掛けていった。結果として、そこで得たものは大きかった。誰かから学ぶ、ということだけではない。自分のやっていることや考え方について、人に聞いてもらうということにも意味があった。あまり深い考えもなく出掛けていったのだが、そのような心の開き方と好奇心はやはり大切だと思う。
 津波の教訓が伝わるわけがない、と私がいつも言うのは、こういうことである。教員のような一応の知識人、すなわち、文字の読み書きを始めとして、歴史を含めた「お勉強」が平均以上には出来たはずの人たちでさえ、結局、積極的に様々な情報を得て、その是非を自ら考え、過去に目を向けて学び、教訓を得るというような作業は出来ない。面倒であり、その場での保身に関わるからである。そして、自分自身の既知の範囲を根拠として、自分には分かっている、やっているという正当化をし、その状況を疑おうとしない。
 この講座の準備をしてきた実行委員は、私を含めて、ほぼ全員が50代以上である。実行委員会の中では、維持できたとしてもあと5年だな、というような声が漏れる。職場での反応も含めて、閉塞感、無力感は強い。しかし、行く前は、少しおっくうだとも感じていたが、二日間を終えてみると、やってよかったなと思う。宿泊費・参加費を徴収しない(=組合からの持ち出し)ということもあるかも知れないが、講師を中心に、若者も30名くらい来てくれた。夜中まで酒を飲みながら、いろいろな学校談義が出来たいい二日間だった。しかし、そう思えば思うほど、「今回は遠慮しておきます」という人々のことが、寂しく思い出されてくる。