中国革命への誘い(2)



 指導者だけではない。中国革命の時期の共産党支配下というのは、「大衆」がその可能性を花開かせた時期でもある。「大衆」というものを、私も今まで冷ややかに描くことが多かったが、そのような大衆の愚かさ、危うさというものは、延安時代の「大衆」には当てはまらない。各自が自分の使命を自覚し、進んで全体の奉仕者となって、その役割を果たした。これには指導者の偉さもあったし、極端なまでの貧困と、日本軍・国民党軍による迫害の中で、大衆の「欲求」と「正義」とが完璧に一致した状態が生まれたためでもあった。そのような時、「大衆」はとてつもない秩序を生み、能力を発揮する。

 旅行前、自分の学問的課題とは別に、延安に関係する書籍にはある程度目を通した。そして、やはり最も面白いと思ったのは、古典とも言うべきエドガー・スノーの『中国の赤い星』(筑摩書房)である。

 江西省瑞金に本拠地を置いていた共産党が、国民党の激しい攻撃に耐えかねて、集団夜逃げとも言うべき「長征」に出発したのは、1934年10月のことである。共産党は2年をかけて25000里(12500キロ)を踏破し、1936年10月に、陝西省呉起鎮で陝北に共産党支配地区を形成していた劉志丹軍と合流することで、「長征」を終結させた。高山や湿原地帯を越える厳しい行軍によって、瑞金を85000人で出発した共産党軍は、10分の1以下のわずか7000人余りにまで減っていた、という。

 共産党中央は、この後、瓦窰保(今の子長)、保安(今の志丹)と短い間隔で根拠地を移動させ、その後、延安に移って定住するが、スノーは共産党本部がまだ保安にあった時期に、国民党の封鎖線を突破して、いち早く保安に入り、毛沢東を始めとする中央指導部の要人へのインタビューに成功した。『中国の赤い星』を読むと、「紅匪」と言われ、恐れられていた(国民党によって、あえて恐ろしいイメージが作り出されていた)人々が実は理想に輝く表情を持ち、厳しく節度ある、それでいて穏やかな生活を送っていることを知ったスノーの新鮮な感動が、今でも読み手に生き生きと伝わってくる。

 陝北地区における共産党から、多少枠を広げることになるが、更に入門書として手軽なものとして、写真文集『抗日解放の中国〜エドガー・スノーの革命アルバム』(サイマル出版会)がある。これは、スノーが撮った写真に、その死後、妻であるロイス・ホイーラー・スノーがエドガーの著作からの抜粋を説明文として付けたものである。他に、A・スメドレーの『偉大なる道』(岩波文庫)、彭徳懐の『彭徳懐自述』(サイマル出版会)あたりが名著の枠に入る。

 中国の現代史は、極めつきの悲劇と極めつきのロマンとが同居していて、しかも人間という生き物に無限の可能性と能力が秘められていることを教えてくれる。人間とは、かくも強く美しい存在となり得るのだ、と思う。私は、人間に絶望を感じそうになると、中国現代史の本を開くのである。(おわり)