文字は人なり・・・学級通信手書きの驚異!!



 昨日はもともと学級通信を出す気はなかったのだが、6校時に特に予定のないHRがあって、中間考査の成績表を渡したりするつもりだったものだから、空き時間もあるし、1校時の途中くらいにふと書こうかなという気が起こった。ところが、いつも使っている今や貴重な「Fax用紙」というものを自宅に置いていて手元にない。一瞬止めようと思い、次に、どうしようかなと思ったが、結局、ワープロで作ってみることにした。手書きではない学級通信に生徒がどう反応するかも、時にやってみるのは面白い実験だという好奇心が、俄然わき起こってきたのである。

 出来るだけいつもと同じ体裁に仕立てたワープロ通信を配布したところ、早速、某生徒が「先生、これなんですか?」と言う。何食わぬ顔で、「え?いつも配っている私のプリントだよ」と答える。「何か変じゃないですか?」「ああ、ワープロで作ったからね・・・。こっちの方が読みやすくていいだろ?」「えーっ??」

 これはなかなか面白い、期待以上だと思いながら、全体に尋ねてみる。「いつもと雰囲気違うけど、こっちの方が読みやすくていいだろ?」

 「えーっ、何これ?こんなの読む気になんねえし・・・」

 「手抜きじゃん!」

 「こんなの平居のプリントじゃねえべや」

と、文句がわんさか出てくる。

 「手書きの方がいいっていう人、手を挙げてみて」というと、わっと15人くらい手を挙げたが、その後も手が増えていくのを制して、「わかった、わかった。それで十分」と、その話を終わりにした。

 悪く言えば単純、よく言えば底抜けに素直な生徒達である。だから、確かに、この反応は彼らの本心を表しているのだろう。面白いなあ、と思う。

 今年、E1の担任になって、たがだか週に1回くらいだが、恒例のプリントを出している。前任校と生徒のタイプがひどく違うので、どの程度のものを出そうかなと思い、最初のうちは内容にしても、字の大きさにしても、イラストを入れるにしても、反応を探っていた。

 宮水は、朝に「朝の読書」の時間が10分間確保されている。そのせいもあって、その前にプリントを配ると、生徒は結構真面目に紙に向かっている。個人面談・保護者面談をやっていても、思いの外に目を通し、自宅にも届いていることが感じられる。前任校以上かもしれない。

 私は一つの仮説を立てた。彼らにとって重要なのは、私の字であって内容ではない、彼らは、内容が分からなくても、字を中心とする紙面全体から、私が彼らにどのように向き合っているかを感じ取っているのではないか。私は、彼らの個性と能力を一切考慮することなく、前任校の時と全く同様に、一見彼らには理解できそうにない学級通信を書くことに決めた。おそらく、それは正しい判断だったのだ。これほど反応がはっきりしていると痛快である。

 多分、世の中の学級通信類はワープロが大半であろう。文章が「内容」だけで勝負できるものならそれでもいい。しかし、今回の出来事はそうではないことをよく物語っている。「何を」語るかよりも、もしかすると「どのように」語るかの方が大切なのである。「文は人なり」よりも、「文字は人なり」という真実の方が、今の私にははるかに重いと感じられる。実物を知っている人には思い浮かぶ、あの小学生のような幼く丸い字が「私」だというのは、なんとも恥ずかしいことだけど・・・。

(参考:今年1月15日の記事 http://d.hatena.ne.jp/takashukumuhak/20110115/1295065159