雑事(宮水の修学旅行と湊中学校訪問)



 水産高校は、昨日から明日まで、2年生が修学旅行に行っている。昨年、12月8日に書いた通り、もともと宮水は、2年生5クラスのうち、ハワイへの遠洋航海実習がある2クラスは修学旅行がない。今年の2年生も、残り3クラスで、大阪・京都へ行く計画が進んでいた。ところが震災である。お金のかかる修学旅行は中止、という話も一瞬あったが、なぜか5クラス(=学年全体)で愛媛県という、震災前よりも豪勢な旅行になった。もちろん、宮水の意志で目的地を変えたはずもない。愛媛県が被災地の高校生を「支援」として招待する、という企画を立ち上げたためである。

 宮水は愛媛と浅からぬ縁がある。愛媛県宇和島市には、宇和島水産高校という水産高校があるし、8年前にその実習船「えひめ丸」がアメリカの原子力潜水艦にぶつけられて沈没、9人の死者が出た時に、宮水は「実習船運用協会」という全国組織の事務局で、情報収集や関係機関との調整で大活躍したということもあった。そのような関係が評価されてのご招待でもあるのだろう。

 それにしても忙しい修学旅行である。愛媛県までたった2泊3日で、しかも、仙台空港から伊丹乗り換えではなく、新幹線で東京まで行って、羽田から飛行機である。1日目は松山城坂の上の雲ミュージアム、2日目は宇和島市内で研修と宇和島水産高校での実習、3日目はミカン狩りをして帰るだけ。出発は朝5寺過ぎで、帰着は夜の9時過ぎ。

 最近は2泊3日の修学旅行という話をよく聞く。私が教員になった頃は、4泊5日が主流だった。これはこれで、引率者にとって大変だが、2泊になった理由が「授業の確保」だと聞くと、心の中を冷たい風が吹き抜ける。授業ってそこまで大事かな?私自身が、自分の高校時代を振り返ってみて、自分が授業で育てられたなどという実感は微塵もないし、もっと授業があれば私の人生ももっとマシなものになったとも思わないので、なぜこれほど「授業の確保」が大問題なのか理解できないのである。少なくとも、修学旅行の日数をたっぷり取って、なかなか自分では見に行けない物をみるという機会の貴重さに比べれば、どれほどのもんかな?と思う。学校に残っている1、3年生はもちろん通常の6時間授業だ。2学年の先生がいないので、学校にいる人の授業は増えている。


 話は変わる。

 今日、私は中里小学校の校庭に建つプレハブの湊中学校に行った。「高校の先生の話を聞く会」に呼ばれたためである。主に実業系の高校を受験予定らしい3年生20名に、わずか20分ながらお話をした。生徒達の態度と表情が素晴らしかったものだから、非常に楽しく話が出来た。質問もたくさんあった。こんな中学生が、来春、宮水に来てくれるといいなあ、と思えたのは幸せなことだ。

 私は、もちろんウソはつかない。宮水が今後どうなるかについては、「分からない」と答えるしかない。しかし、これは今更ながらにつらいことだ。これからの人生選択に、ある種のトキメキを持って臨む中学生に対し、将来に向って夢を明確に出来ない、曖昧漠然とした話をしていたのでは、私が中学生でも、やはり宮水を選択するという決断はしにくい。もちろん私の責任でも、宮水の教員の責任でもない。

 私が湊中学校に行っていた時間帯、DeNAベイスターズの森本、三浦、新沼の三選手が、生徒の激励に訪れていた。いわゆる有名人の被災地訪問については、TVや新聞でよく耳にしていたが、実際にその場に居合わせたのは初めてだった。私は、到着してから自分の出番までに少し時間があったので、三選手が2年生の某クラスで激励しているところを、廊下から覗かせてもらった。間近で見たプロ野球選手の体格にも驚いたが、彼らの言葉を聞く生徒(特に女子?)のキラキラとした憧れの目に驚いた。TVや新聞を見ながら、なんだか有名人の人気取りのように思えて斜に構えていたが、今日、悪い印象は一切無かった。私が前に立っても、子どもたちの目は輝かない。子どもたちに喜びを与えることの出来る存在とは素晴らしい。