C型肝炎の記録(5)・・・一生に一度だけ



 私は、IFNを使うことに決まってから、自分のウィルスの遺伝子型とウィルス量、それらと治癒率の関係についての情報を非常に気にしていた。これは、科学者的な発想ではない。自分のC型肝炎がIFNによって治癒する、という確信を得たかっただけである。あまりにも高価であるために、一生に一度しか使えない薬。それを使って治癒しなければ、強ミノCを打ちに毎日通院するという面倒な思いをし、血液検査の結果に一喜一憂しながら、病気の進行を止めようもなく、徐々に徐々に症状を悪化させて死んでいくしかない。だから、IFNに対する期待は大きいし、やってみなければ結果は分からないと分かっていながら、やる前から治癒の可能性を探し求めてしまうのである。患者の心理というものだ。

 私は1998年7月30日に東北労災病院に入院した。病棟には肝炎患者がたくさんいた。慢性も急性もいる。B型もC型もいる。

 早速、看護師から「入院診療計画書」という紙を渡された。主な所を抜き出すと、「8月4日に肝生検、その後IFN投与、α型4〜8W連続+16〜20W週3orβ型8W連続 推定される入院期間4〜8W(副作用の程度とも関連)」と書かれていた。

 肝生検はY医師によって行われた。この方の名前は、以前いた学校の部活のOB会で付き合いのあったK医師から、「労災にはY先生という生検の名手がいる」と聞いて知っていた。S医師から、生検を行うのがY医師だと言われた時、嬉しさと好奇心が沸き起こってきた。

 鮮やかなものだった。坂病院のH医師とまったく違って、流れるようにさりげなく全てが進んだ。終了後も、前回とは比較にならないくらい楽だった。局所麻酔で行われているので、この二人の医師の腕の違いがよく分かったが、全身麻酔の手術なら気が付かない。それは恐ろしいことだ。同じ「医師」とは言っても、これほど歴然と技量に違いがあることが分かると、医者を選ぶというのは大事なことだなとつくづく思った。しかし、実際に彼らの作業を見学できるわけではないので、それは非常に難しいことでもある。

 モニターを見ながら「きれいだね」と言われる。確かに、相変わらず肝臓の表面はつるつるしている。言われてみれば、縁の所がすこし丸くなっていて腫れているのが分かる、といった程度だ。

 今回は、生検の結果が出なくてもIFNを投与することが決まっているので、翌日から、そこへ向けて様々な検査が行われた。なにしろ、IFNは発熱、頭痛、食欲不振、視力障害・眼底出血、うつ病、脱毛、不眠、下痢、血小板・白血球の減少といった多くの副作用を引き起こす。だから、IFN投与前にそれらの症状がなかったかどうかを確認しておくことは、副作用を確認するためにも、副作用が重篤なものにならないようにするためにも大切なことなのである。私は内科の他に、眼科、心療内科で検査を受け、その結果、「網膜変成・穿孔」という異常が見つかり、レーザーによる治療を受けた。そしていよいよIFNの投与となる。

 ところで、事前にIFNにはα型とβ型があり、βには天然型しかないが、αには天然型と遺伝子組換え型があるということは知っていた。そして、αは皮下または筋肉への注射、βは静脈への点滴というのも知っていた。静注すれば薬の回りが早いので、毎日打つことになり、保険で打てる本数が決まっている以上は早く終わる、αは最初の4〜8週間は連日投与だが、その後は1日おきになる。私の調べた範囲では、基本はαである、遺伝子組換え型より天然型の方がよく効く、完全著効(治癒)率は投与した総単位数に比例する、ただし、むやみに量を増やすより、期間を延ばす方がいい、といった情報があった。βの使用については、情報が少なすぎて、よく分からなかった。

 ところが、入院してみてβを使っている患者が多いのに驚いた。このことをどう考えればよいのだろうか?IFNの効果が、一般に言われるように総投与量と投与期間に比例するとすれば、βは絶対に不利である。βは、投与期間でも総投与量でもαの3分の1にしかならない。これでウィルスを排除する率がα以下でないのかどうか?非常に副作用が強いらしいIFNを、静注という過激な方法で投与することにも不安を感じた。渡された「入院診療計画書」には、どちらを使うか未定であるように書かれている。

 8月3日に、このことについてS医師に尋ねてみると、「生検をやってみないと、治療計画を立てられない」とだけ言われ、何を基準にそれを決めるのか、それぞれの薬のメリット・デメリットは何かということについては説明してもらえなかった。

 8月7日に、日頃からよく病室に出入りしている研修医のK先生に、αとβそれぞれの特徴と、私に対してS先生はどちらを使う気かと尋ねたところ、前の質問にはほとんど答えず、「他の人に対する使い方からして、βではないか」とだけ言った。私は生意気にも、「βはどうも使い方が確立されていないようだから、αなら問題ないが、βならS先生にあれこれ質問したいことがある」というようなことを言った。すると、その日の午後に、私はS医師から呼ばれた。

 まずS医師は、「α1000万単位を4週間連続投与、その後、週3回を20週間」という結論を述べた。理由は、私の場合、眼底に若干の異常があり、眼底の副作用はαよりもβで出やすいからだそうである。私としては、αなら異論はなかったので、「この病院ではβを使っている人が多いようだが、あくまでも雑学的関心から、先生のβの使い方についての考え方を知りたい。先生の論文、或いは他の人のでもいいので、いい論文があったら教えて欲しい」と言った。するとS医師は、「αは使い方が決まってきたので、今、あえてβを意識して使っている。自分としても、まだその結果をまとめる所までは行っていない。朝晩に分けて静注するので、ウィルスを叩く力はβの方が強いと思っている。しかし、なにしろ8週間が限度ということで、その点についての不安は残る。βで最初に強烈に叩いておいて、αをその後長く使うのが理想だとも思うが、保険の制約が厳しくて出来ない。最近は何をするにも保険との戦いだ。」と述べ、この後、延々と保険批判が続いた。保険はともかく、この時のS医師は、口を滑らせたと言うべきだろう。やはりβは臨床実験段階なのである。

 私の眼底に問題があったからαを使う、というのが本当かどうかは分からない。私が、K医師にいろいろと不安めいたことを話したのが伝わっていて、面倒を起こしたくないという気持ちがS医師に働いただけかも知れない。ただ、患者の立場からすれば、確立された方法を使ってダメだった時にはあきらめもつくが、実験的な方法を使ってダメだった時には、恨みが残るような気がする。特に今回の場合、期間と量の違いが大きいのでなおさらである。つまり、αでダメだった時、「βを使えば治ったかも」とは思わないだろうが、βを使ってダメだった時には、「αでなら治ったかも」と思うだろう。医師は、そんなこととは関係なく、職業的な向上心からも、知的好奇心からも、いろいろな方法を使ってみたくなるに違いない。しかし、私の頭に繰り返し浮かんでくるのは、C型肝炎を治癒させる可能性があるIFNは、一生に一回しか使えない薬だ、ということであった。従順な患者にはならない方がいいと思った。